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【この本!】 2006.11.08 (Wed)

少納言の清ちゃんスキスキ、すねないで

 
 電車の中などのヒマなとき用に、いつも百人一首の本を携帯しています。
 ほんの数分でもかじることができるし、じっくりと掘り下げるだけの深さもある。

 大江千里 「月見れば ちぢに物こそ悲しけれ 我が身一つの秋にはあらねど」 (第23歌)
 良暹法師 「寂しさに 宿を立ち出でて眺むれば いづこも同じ秋の夕暮れ」 (第70歌)

 ・・・いいですね。こんな美しい歌や切ない歌など名作ばかりですが、ぼくは清少納言の歌がけっこう好き。

  清少納言 「夜をこめて 鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ」 (第62歌)

 「まだ夜なのに、にわとりの声を真似て門を開かせようとしても、わたしの恋の関所はだまされませんよ」
 と、一見どうっていう歌でもありません。でも背景を知る者からすれば、ウ~ンとうならされます。


 古代中国、秦王に命を狙われた孟嘗君(もうしょうくん)が、深夜の国外脱出を計ったとき、部下のニワトリの鳴きマネによって函谷関(かんこくかん)の門を開かせたという、“鶏鳴狗盗 (けいめいくとう)”の故事に引っ掛けてあるのです。
 紫式部同様、漢文にも精通していた清少納言ならではの、知的遊戯に富んだ歌。

 これは、書の達人として知られた藤原行成との掛け合いの中で生まれた歌であることは、『後拾遺集・雑939』 『枕草子・130段?』で詳細が語られています。(『枕草子』の段数は、書籍によって違う??)

 ・・・ふたりきりの夜、せっかくいい雰囲気になっていたのに、行成は朝イチで仕事があるからと、そそくさと帰ってしまう。そして翌日、彼は清少納言に軽々しく言い訳をします。

 「ゴメン、ゆうべは鶏の声にせかされて・・・」
 ――清少納言はその態度にカチンときますが、そこは抑えて少しばかりの皮肉で返します。
 「まだ夜だったのに鶏が鳴くというのは、あの函谷関のお話みたいね」
 ――しかし行成は意に介しません。
 「いや、それって逢坂の関じゃないのかい?」

 逢坂(おうさか)とは今の大阪。その名から、男女が出逢うという恋の代名詞になった関所がありました。おそらく行成は、ここでイタリア男のように清少納言に迫ったのでしょう。
 そんな男を突っぱねてうたったのがこの歌、

 「夜をこめて 鳥の空音は謀るとも よに逢坂の関は許さじ」

 というわけです。
 相手はあこがれの書道界のスター。でも一言やりこめずにはいられない、という清少納言のほとばしる才気がうかがえます。


 わずか31文字に、四季の自然と人生の悲喜を重ね合わせる歌はもちろん素晴らしいのですが、こういう理知的で機転の利いた歌もおもしろい。
 特にそれが、当代きっての知性派によるものだというのだから、バラエティに富んだ百人一首は飽きることがありません。

 このあと行成は、「本当は、門を開けっぱなしにして待ってたんじゃないの?」と、わざと意地悪く返しますが、ぼくはそんな余裕ないほど、清少納言にすっかり惚れてしまいました。

 
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