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【このアート!】 2019.01.06 (Sun)

ルーベンス、王の画家にして画家の王

ルーベンス展

 肉が波打つ豊満な裸体、大画面いっぱいに躍動する人間と神々のドラマ・・・。バロック派絵画の頂点に立つオランダの画家ルーベンス。
 巨大工房をかまえてチームによる超大作と大量生産を実現。スケールの大きな作風はヨーロッパ各国の王に愛され、自身はその名声を活かして王室から王室へと股にかける外交官としても活躍した、人呼んで 「王の画家にして画家の王」 だ。

 弟子の手が加わるためもあって、筆の跡も荒々しいものもあれば、写真と見まがうほどの細かい質感描写まで、一枚の絵の中ですら驚くほど豊かなバラエティ。後世のゴッホのような厚塗りを勝手に想像していたのは、そんな二次元には収まりきらない画力と生命力ゆえなのだろう。

 (下の【続き・・・】に彼の人生背景をまとめました。)

 アニメ 『フランダースの犬』で有名なアントウェルペン聖母大聖堂の 『キリスト昇架』。その体を斜めによじる構図は、バチカン蔵のこれも有名なギリシャ彫刻 『ラオコーン』 像に影響されて取り入れたという話は、歴史も宗教も国境も飛び越える彼の柔軟なフットワークの最たる例だ。(リンク先はDuckDuckGo画像検索。なおどちらも来日はムリ。)
 かと思えば、長女 『クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像』 に込めた輝かんばかりの愛情や、兄の子だという 『眠る二人の子供』 (上野で常設)のはちきれそうなプクプクほっぺまで・・・。

 古今「芸術家」といえば、ゴッホやセザンヌのような破滅的・破天荒な人が目立ち、そこに共感が集まってしまうものだが、ルーベンスのあまりに幸福で完璧すぎる人柄と人生に、かえって興味が沸いてしまった次第。

 上野・国立西洋美術館の 『ルーベンス展』。贅をきわめた奇跡の大広間に身を置けるのはあと2週間。
 (同時期の上野の森美術館のフェルメール展がホントひどかった(とにかく大混雑、フェルメール以外の作品の質の低さ、画面をツブすひどい照明、客の動線に無神経すぎるレイアウト演出、職員の運営・理解力の低さ・・・)せいで、余計にありがたみを感じました。
 

【続き・・・】


 ≪少年ルーベンスとオランダ独立の時代≫
 16世紀、ヨーロッパを二分した「宗教改革」のさなか、その激動の中心地ドイツ~ネーデルランドで生まれ育ったピーテル・パウロ・ルーベンス。

 当時のネーデルランドは、厳格なカトリックであるスペイン・ハプスブルク家の支配下に入ったばかりで、激しい弾圧と抵抗の末に南北に分裂 (※すなわち今日でいう、北はプロテスタントの「オランダ」と南のカトリック「ベルギー」である――)。ルーベンス(1577~1640)はこの80年に及ぶ 「オランダ独立戦争(1568~1648)」 と共に生きた。

 父は新教プロテスタントの資産家だったが死の間際、残される家族を弾圧から守るため旧教カトリックに改宗、ルーベンス少年は新旧両教を知って育つ。(実際、自身はカトリックでありながらプロテスタントの教義に沿った作品も多い。)
 父の死は10歳の時。しばらくは現ベルギーのアントウェルペン(英語名アントワープ)でそれなりの暮らしをしていたが、やがて一家は没落。小姓奉公に出された貴族家で絵画の才能を見出され、13歳で画家としての修行を始めることになる。

 複数いた師匠はいずれも今日では無名の人だが、学識ある師匠の下で引き続き高い教育を受けることができたのは、ルーベンスにとって大きな財産となった。
 (ちなみに元来「画家」という職業は、家柄や教養を必要としない下賤な職人仕事とみなされていたが、この頃ようやく社会に認められつつあった。画家としての自負と卑下、相反する感情はルーベンスの発言のあちこちに見られる。)

 父の死、富と貧窮、新旧両教、ふるさとの戦火から復興へといった「明と暗」「水と油」にさらされ続けた幼少期の環境は、ヨーロッパを股にかけた外交官ルーベンスのすぐれたバランス感覚にも影響を与えたことだろう。それでいて人柄は終生温厚かつ社交的で、巨大工房の経営力にも長けた円満充実ぶりには舌を巻くばかりである。


 
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