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【めざせ東大 !?】 2018.02.19 (Mon)

誰がペニシリンをつくったか

H・フローリー豪50ドル札(部分)
ハワード・フローリー/旧・豪50ドル札(部分)

 20世紀最大の発明のひとつとされる、世界初の抗生物質ペニシリン。
 けがや病気の恐ろしさはそれ自体の症状だけではなく、患部からばい菌に冒される 「感染症」もまた大きな脅威だった。抗生物質はこのばい菌を退治することで感染症を劇的に減らし、世界の医療衛生を飛躍的に向上させる。
 その一般的な伝記は――

 1928年、イギリスの医学者アレクサンダー・フレミングは、偶然シャーレについた青カビの周りだけは培養中の細菌が死んでいることを発見。「ペニシリン」と名付けられたこの青カビ由来の抗菌薬は「奇跡の特効薬」と呼ばれて多くの人命を救い、1945年にノーベル医学生理学賞が贈られた。


 ――しかし実際には、彼の 「発見」 に続いた多くの研究者によってはじめて薬として 「発明」 され、世界中に広まったことは知られていない。


 実は、フレミングは青カビのいきさつこそ論文で発表しておいたが、有効成分を安定して取り出す作業は非常にむずかしく、なんとそのまま10年以上も研究を放置してしまったのだ。医療薬になると考えていたかすら怪しいとする指摘もある。(彼が近しい人の治療にはじめてペニシリンを使ったのは、研究が広く注目されはじめた後。それまで近しい人を救えると考えなかったのか。身近な数人くらいの用量ならたとえ不完全でも作れただろうに、と。)

 名前だけつけられたペニシリンがようやく日の目を見るのは、それから12年もあと。1940年、ハワード・フローリー(豪)とエルンスト・ボリス・チェーン(亡命独ユダヤ系)率いるオックスフォード大学のチームが、埋もれていたフレミングの論文を発掘してから。
 新しい抗菌薬を探していたフローリーとチェーンは、フレミングの論文をもとに青カビから「ペニシリン」を取り出すことに成功。この時ようやく薬としての実用化、その第一歩がはじまる。ちなみにチェーンはフレミングから連絡を受けた時、古い論文の主がまだ生きていると知って驚いたそうだ。それくらい埋もれた研究だったのだ。
 (※長くなったので↓【続き…】にもっと詳しく)

 フローリーの故郷オーストラリアでは、日本でいう野口英世くらいの国民的偉人として広く尊敬されている。今2018年2月21日は没後50年。再び脚光を浴びていることだろう。
 

【続き・・・】


 もちろん、ペニシリンの薬効に気付かなかった(――気付いていたとしても研究をすぐあきらめた――) フレミングが不明だったわけではない。経験則としてはすでに知られていただろう、「何かが菌を殺す」効果にはじめて注目したその最初の一歩は、揺るぐことのない人類史上の偉大な瞬間だ。

 ただ、フレミングは良くも悪くも(培養皿にカビを生やすような)おおらか・大ざっぱな性格だったそうで、記者や作家が書きたてるあることないことを許し、受け流していたのが良くなかった。(若きフレミングが少年時代のW・チャーチルの命を救った話などは有名な、しかし今では作り話だと看破されたエピソード。実際の年齢差は逆)
 多くの伝記作家は、フレミングが空白の10余年間にもペニシリンへの情熱を失わなかったことをドラマチックに書きたて、それは今日でも読むことができるが、その情熱を裏付ける記録や動きはほとんど残されていない。何より素朴で謙虚なフレミング自身も、自分の功績を必要以上に誇ったりなどせず、我彼の明・不明をきちんと認めているというのに、だ。

 招かれれば世界中を飛び回った社交的な人柄や、発言力のある母国イギリスの喧伝が、彼以外の功績を忘れさせる結果となってしまったのだろう。ノーベル賞はフレミング、フローリー、チェーンの3人での受賞だったが、今日知られているのはフレミングの名前だけ。科学を取り巻く世界が思ったほど科学的でない現実に、割り切れないものを感じた。
 (これを書いているぼくだって、真実の一部しか聞きかじっていないだろうことを思うと、恥ずかしくもあり怖ろしくもある。)
 

 もっと言えば、実用化につながった純粋なペニシリンの精製成功についても、フローリーの部下だったノーマン・ヒートリーという研究員のアイディアと実験によるもの。(iPS細胞の山中伸弥教授とその右腕・高橋和利研究員の関係にも似ている。)

 さらに、実用化後しばらくは青カビなど天然原料によってペニシリンは作られていたが、折りしも時代は第二次大戦へ。アメリカでは戦場での需要と大きなビジネスチャンスから官民挙げての研究が進められ、戦後、その中のひとりジョン・シーハンが人工合成に成功して量産化の道を開く。
 (実は、フローリーやヒートリーは支援の乏しいイギリスでの研究をあきらめ、資金が潤沢なアメリカに技術を持ち込んでいた。このことも、逃げられたイギリス側の感情論が加わって「誰がつくったか」の議論をややこしくした。)


 一夜にして開発競争の最先端に躍り出たペニシリン。あの実験はだれが最初、この発明はだれが最初、という話は尽きない。フレミングの陰の、そのまた陰に追いやられた研究者は数知れないことだろう。
 共にノーベル賞にあずかったフローリーとチェーンの間にも、功績をめぐって目に見えない波風があったという。いま各人の伝記を並べて読んでも、どこを取捨選択すべきか非常に迷ってしまう。
 はたして誰がペニシリンをつくったのか――。この記事にも誤解や無理解があるだろうことをあらかじめ謝っておきます。

 
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