【このアート!】 2017.11.26 (Sun)
ぼくの「怖い絵」・・・ドレの神曲

「父よ、なぜ助けて下さらないのですか?」
東京上野で 『怖い絵』 展が開かれています。一見なんのことはない名作絵画の裏側に隠された、歴史の闇や画家の恐るべき怨念・・・。文学者・中野京子さんによる同名ベストセラー本からの企画のようです。
ぼくもシリーズ3冊、夢中で読みました。中野さんの卓越した文章力や、テレビ出演時に見せるアツい解説があってこそ面白いんだけど、混んでるらしいしどうしようかな。12月半ばまでなので、気が向いたら行こうかな・・・。
そこで、ほんのお口汚しのお茶濁しですけど、ぼくも 「怖い絵」 をひとつご紹介。ギュスターヴ・ドレ画、ダンテの 『神曲』 よりウゴリーノ伯爵の図。(上の画像)
イタリア文学の最高峰、ダンテ・アリギエーリの叙事詩 『神曲』 は、ダンテ自身による地獄・天国めぐりの記 (⇒過去記事)。
地獄の悪魔に突っ刺されたりぶった切られたり、煮られたり食われたり・・・。この世で罪を犯し地獄に落とされた者への責め苦が、これでもかとばかりに展開します。そこに19世紀フランスのイラストレーター、ギュスターヴ・ドレによる生々しい挿絵が加われば、エグさも倍増!
ダンテは神話や歴史上の事件などを散りばめて地獄世界を活写しましたが、この 「ウゴリーノ伯爵」 についてはダンテ(1265-1321)と同時代に実際に起こった事件だそうで、『神曲』 では地獄の最下層 「裏切り」 のひとつに入れられています。
暗く冷たい石の牢獄に押し込められ、もだえ苦しむウゴリーノ伯爵とその子や孫たち。故郷 ピサを裏切った果てに一族ともに獄死した、その獄中での 「生前」 の絵。
ただし、煮たり焼いたりの直接的な地獄絵からすればずっと大人しいほう。にもかかわらず 『地獄編』 の中でも古今多くの読者を揺さぶってきたのはその内容にあります。
死して氷地獄に落ちたウゴリーノ伯は告白する――。
最初のうちは、獄中の彼らにわずかなパンが支給された。幼い孫たちはひもじさのあまり、みな夢の中でパンを求めて泣くありさまだった。ところがある日、食事が支給されるはずの時間に、牢獄の扉を釘で打ちつける音が響く。一家を閉じ込めた政敵たちは、そのまま彼らを餓死させようというのだ。
そしてそれっきり幾日かが過ぎ、悲嘆のあまり自分の手をかじり始める伯爵。その姿を見た息子は、父に恐るべき 「助け」 を乞う。
「父よ、いっそ私たちを食べて下さるなら、私たちの悲しみはずっとずっと軽くなりましょう。このみじめな肉の衣を着せたのはあなた、だからどうぞ、私たちからそれを剥ぎとってください!」 (寿岳文章・訳)
驚いた伯爵はいったん正気を取り戻すが、やがて子供たちは飢えと運命を恨みながら、ひとり、ふたりと息を引き取っていく。そして・・・
「悲嘆に勝てたわしも、絶食には勝てなんだ」
――と、伯爵の亡霊の告白はそこで終わる。ダンテはそれ以上書いてはいないが、伯爵は子供たちより数日間長く生きたらしい。
果たして、彼は子や孫の肉を食ったのか?
少なくともいま地獄の淵で、憎き仇敵の頭をむさぼり食うウゴリーノのおぞましき復讐図は、明らかにそれを示唆しています。
しかしダンテは必ずしも、彼の人肉食を罰したいわけではないらしい。 ウゴリーノもダンテも、権力闘争に敗れて辛酸をなめた者どうし。(祖国を売り暴政を敷いた実際のウゴリーノが同情に値するかは別だが、)ダンテ自身の怨みを重ねた独りよがりな筆は、独りよがりであるがゆえに異様な激情と執念をもって700年後の今日まで迫ってくるのです。
近年、伯爵とされる遺骨を科学分析したところ、「死の直前に肉を食った形跡はなし」 という結果が出たらしい。
歴史の敗北者への同情あるいは憎しみが、かくも恐ろしき伝説を生んだのだろう。そんな 「伝説」 でしかなかったというのが、ウゴリーノ伯爵にとってせめてもの救いと言えるでしょうか。
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今月初旬に観てきましたよ。とても良かったです。
もう1回観に行ければ行きたいです。
書籍でも読みましたが、シャガールの「ヴァイオリン弾き」が時代を映して怖いですね。
またお邪魔します。
ではごきげんよう(^_-)-☆