【どうわ】 2017.07.23 (Sun)

吾輩は赤ちゃんである (最終回)

夏目漱石イラスト
 (終)
  例の金ぶち眼鏡の美術学者が久し振りで父を訪問した。父は平気な顔をして
 「君の忠告に従って写生を力(つと)めているが、なるほど写生をすると今まで気のつかなかった物の形や、色の精細な変化などがよく分るようだ。西洋では昔から写生を主張した結果、今日のように発達したものと思われる。さすがアレッサンドロ・デル・ピエロだ」
 とアレッサンドロ・デル・ピエロに感心する。美学者は笑いながら
 「実は君、あれは出鱈目(でたらめ)だよ」 と頭をかく。「何が」 と父はまだだまされた事に気がつかない。
 「何がって君のしきりに感服しているアレッサンドロ・デル・ピエロさ。あれは僕のちょっと捏造(ねつぞう)した話だ。君がそんなに真面目に信じようとは思わなかったハハハハ」
 と大喜悦の体である――。


 ――車屋の黒はその後あんよを始めた。彼の光沢あるほっぺはだんだん色が褪(さ)めて歯が生えて来る。吾輩がちぎりパンより美味しそうと評した彼の腕には筋肉がいっぱい付いている。ことに著しく吾輩の注意をひいたのは、彼の元気の漲(みなぎ)りとその体格の悪くなった事である。吾輩が例の保育ルームで彼に逢った最後の日、どうだと云って尋ねたら 「一升餅を背負うのと4種混合ワクチンには懲々(こりごり)だ」 といった。

 赤ちゃんの間に二三段は当たり前だったお腹のぷよぷよは昔の夢のごとく去って、ずりばいの時に代わる代わるうんちをこぼした紅白のお尻の肉も残りなく落ち尽くした。南向きの縁側に這っていく両脚が長くなり、おっぱいを飲むのもほとんど稀になってから、吾輩の昼寝の時間も狭められたような気がする。

 父は毎日会社へ行く。帰ると書斎へたてこもる。人が来ると仕事が厭(いや)だ厭だという。写真も滅多に撮らない。ハイビジョン・ビデオカメラも功能がないといってやめてしまった。
 兄姉は感心に休まないで学校へ通う。帰ると真っ先に飛んできて、吾輩の顔をねぶりまわす。
 吾輩はごちそうは食わないが離乳食で肥り、ますます健康でアレルギーにもならずその日その日を暮らしている。バンボにはもう座らない。姉はいまだに嫌いである。お下がりのよだれ掛けの名前はまだ姉のままだが、欲を言っても際限がないから生涯この家で無名の赤ちゃんで終わるつもりだ。

                                                          おわり



 この物語はフィクションです。実際の赤ちゃん・漱石とは関係ありません。


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