【ヒッチコック米時代】 2011.11.15 (Tue)
『間違えられた男 (1957米)』

≪感想≫
今回2度目の観賞。 地味な映画という記憶しかなかったのですが、意外と飽きさせなかった。 お話は地味でも、基本のカット割りなど映像語りの上手さがそうさせません。
護送・投獄のシーンにはヒッチらしい華が。 ヒッチが重視したという「主人公目線」を交えたカットバックや、牢扉の小さなのぞき窓を貫く神技ズームはもっと注目されてもいい。また、憔悴した妻の顔にかかる陰影も効果的。その直後の「ブラシ」の大胆な編集は、後の『サイコ』の原型でしょうか。
(以下ネタバレ・・・) ただ保釈後、自力で証人を探し回るのはヒッチらしい冒険の始まりだと思われたのに、うまくいかないうえ妻があんなことに・・・。結局は 「偶然」 と 「他力本願」 で一件落着。 ラスト、妻の「その後」の説明も消化不良でカタルシスに欠いた。 そのへんが地味な印象の理由です。
A・ヒッチコック監督第44作 『間違えられた男 (1957米)』
出演/ヘンリー・フォンダ (クリストファー・マニー・バレストレロ)
ヴェラ・マイルズ (妻ローズ)
アンソニー・クエイル (オコナー弁護士)
≪あらすじ≫
マニーは貧しくとも家族と幸せに暮らすバンドマン。しかし身に覚えのない強盗容疑で、彼とその家族の平穏は無残に崩れ去っていく。
≪見どころ≫
実話を基に、ヒッチ一流のユーモアやなまめかしさを一切排し、緊迫感あふれる語り口でつづる。久々のモノクロ撮影が重く暗い。
ヒッチはモデルになった1953年の事件そのままに、登場人物の一部やロケーション(刑務所や病院)は、実際に関わったものを用いた。特に終盤の捕り物劇は、店も人も同じまったくの再現ドラマだそうだ (ラストの表記)。・・・ただしその 「実話」 に徹したアプローチが、映画としての盛り上がりに欠けた最大の理由だ。
お粗末きわまる捜査にいいかげんな裁判・・・警察ぎらいなイギリス人ヒッチの司法不信がよく表れている。
≪裏話≫
新進女優ヴェラ・マイルズに惚れこんだヒッチは、I・バーグマンやG・ケリーの面影を彼女に見出していたが、撮影中に結婚されてまたも失恋。その腹いせに、後の 『サイコ』 では脇役しか与えなかった。(『サイコ』の有名な予告編で、悲鳴を上げているのがヴェラ。彼女が殺されるふうに思わせるカモフラージュのため。)
ちなみに、ヴェラの結婚は1956年4月15日。同18日はモナコ公妃になったグレース・ケリーの挙式であった。ヒッチはモナコに招待されていたが欠席している。
≪ヒッチはここだ!≫
冒頭、逆光のシルエットで現れ、「これはすべて真実の物語です」と観客にスピーチ。
はじめは、クラブにタクシーで乗りつける客の役で撮影されていたが、シリアスな物語にお遊びはそぐわないためボツになった。
『THE WRONG MAN』
監督・製作/アルフレッド・ヒッチコック
脚本・原作/マックスウェル・アンダーソン
脚本/アンガス・マクフェイル (ヒッチの旧友。名義のみ)
撮影/ロバート・バークス
音楽/バーナード・ハーマン
ワーナー 105分
【続き・・・】
≪裏話≫
ヒッチは先の 『裏窓('54)』 からはワーナーを離れてパラマウント社と契約していたが、それまでのジャック・ワーナー総帥からの寛大な待遇に感謝して、ワーナーのために破格の低報酬で本作を撮った。
その一方で、(『裏窓』『泥棒成金』『ハリーの災難』『知りすぎていた男』 と、)これまで4連作の脚本を手がけた忠実な若手ジョン・マイケル・ヘイズへのねぎらいは度量に欠くものだった。
プロデューサーのヒッチからヘイズに支払われた脚本料は、家族を養うだけでやっとの額。ヒッチは 「育ててやったのは自分だ」 とばかりにボーナスや昇給の約束もすべてホゴにし、本作を前に一方的に関係を絶ってしまったという。
かつてはヒッチ自身、たいして仕事をしていない大物作家に手柄を取られたことも多々あったし、そういう時代の人ではあった。「ヒッチコックの七光り」目当てで接近してくる者も多かった。 しかし他人の才能を認められない、ゆだねられないヒッチの性格もまた、ヘイズに対するような仕打ちをたびたび引き起こしていた。
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