【アメリカ映画】 2017.04.08 (Sat)

真のアメリカの悲劇~『陽のあたる場所(1951米)』

『陽のあたる場所』

 親戚の大工場に仕事を得た貧しい青年。勤勉さを認められ昇進し、名家の令嬢との縁談も進むが、それまでの恋人が邪魔になってくる。恋人は妊娠していた――

 貧しい境遇から脱しようともがく青年の悲劇を描いた 1951年のアメリカ映画 『陽のあたる場所』。 監督ジョージ・スティーヴンス、主演モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタース


 原作はセオドア・ドライサーの小説 『アメリカの悲劇』。暗い闇を抱えたネガティブな主人公像は、心身に傷ついた第二次大戦直後あたりから描かれはじめてきた('45年アカデミー作品賞『失われた週末』他)が、これはその最初の成果となった。
 何といってもブロードウェイの舞台劇出身、モンゴメリー・クリフトの名演によるところが大きい。声に出さずとも目の動きだけで苦悩やスリルが語れる緊張感は、今なお観ていて肩に力が入るほど。

 戦後の独占禁止法によりメジャー・スタジオ主導およびスター・システムが崩壊し、舞台劇の人材が続々ハリウッド映画に進出してきた時代の代表格。 役柄を研究しそれになりきる舞台流の 「メソッド演技法」 は、俳優のスター性に頼っていた従来のハリウッド映画に リアルで等身大の社会派ドラマをもたらした。
 (一方で演技へのストイックな没入は、少なからず彼の精神状態に負担をかけてしまったのは皮肉だった。クリフトは45歳の若さで没。)
 目の焦点はどこに合っているのだろう? 透明感のある彼の美しい目は、不透明の時代に生気を失いあてなくさまようようだ。


 そしてもうひとり特筆すべきは、脚本のマイケル・ウィルソン。本作でアカデミー脚色賞を受賞し、このあと 『戦場にかける橋』 『アラビアのロレンス』 『猿の惑星』 などそうそうたる名作を手がけながらも、共産主義を弾圧する 「赤狩り」 の犠牲となって公式から名前を外され、長く不遇の時代を強いられた。
 大戦中、共産主義はファシズムを共通敵とするアメリカの同盟者であり、多感な若者にとっては一種のトレンドであったにも関わらず、その戦中の態度が問われたのだから、国ぐるみの狂乱の嵐たまったものではない。

 彼はほかの 「ブラックリスト」 映画人同様、 魔女狩りの目がゆるいイギリス映画やインディペンダント系などで、名前を隠して糊口をしのいだ。
 いや、ぎりぎりでオスカーを受け取ることができた彼はまだ幸運なほうかもしれない。主人公の母役の女優アン・リヴィア('44年『緑園の天使』でアカデミー助演女優賞)は、ブラックリストに載ったとして出番を大幅に削られ、映画生命を絶たれてしまった。国家権力による理不尽で残酷な仕打ちの最たる例だ。


 『陽のあたる場所』 と同じ1951年にはエリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演の 『欲望という名の電車』 も公開。ブロードウェイからの血を加えたこの2作はハリウッド映画史でもひとつの転換点となり、「動」のブランドと「静」のクリフトは新時代の寵児として大いにもてはやされた。 ともにアカデミー賞の最有力候補だったが、赤狩りを恐れたハリウッドは当たりさわりのないミュージカル劇 『巴里のアメリカ人』 を作品賞に選ぶ。

 「Then... in your heart was murder, George (君は心の中で殺人を犯した)」 

 本作で一番心に響いたセリフ。
 後年、赤狩りの犠牲者たちは相次いで名誉回復がなされる。脚本のウィルソンの名前も改めて公にされ、『戦場にかける橋』 に対しては2つめのアカデミー脚色賞が追贈された。
 国家による裏切りや密告が奨励された 「赤狩り(マッカーシズム)」 が激しかったのは1950年代前半の数年間であったが、その癒しには続く'60年代をまるまる要し、完全なつぐないを果たすには'80年代に入るまでかかってしまった。ウィルソンの 『戦場…』 へのオスカー追贈も、彼が亡くなった6年後の1984年のことだ。

 国や権力による暴走は、それだけ罪深い傷跡を残す。日本こそ繰り返してはならない。
 
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