【自作 『カノッサの屈辱』】 2007.02.02 (Fri)
タモリ・キリストと、いいとも西洋史 (フジテレビ『カノッサの屈辱』復活記念制作)

「そろそろお友達をご紹介…」 「えぇ~!?」
≪紀元前~マンザイ五賢帝≫
フジテ暦1980年の午後0時、『笑ってる場合ですよ!』帝国が建国。
これを統治したのが、B&B、ツービート、紳助竜介、ザ・ぼんち、のりおよしお・・・いわゆる“五賢帝”と呼ばれる名君たちであった。民衆は「パクス・マンザイ(漫才による平和)」を享受し、ここにフジテレビ黄金時代の幕開けを告げる。
しかしその勢いは、決して長くは続かなかった。彼らはより肥沃な “土曜夜8時” 地方へと流出して急速に衰退 (参考『ひょうきん族の大移動』)、新たなる救世主を求める機運が盛り上がる・・・。
≪第1章:タモリ・キリスト降誕≫

『 INRI~抱かれたくない王、いいともの森田』
(はりつけにされるタモリ・キリスト。左右は、同じくアンアンのユダに裏切られたツルタロウとデガワ)
フジテ暦1982年、ついにタモリ・キリストを祖とする“いいとも教”が開かれる。
隣人愛を説いた「友達の輪」思想を掲げて熱狂的な支持を得るが、タモリ・キリスト個人は、アンアンのユダの「私が“抱かれたくない”人を捕らえろ」という裏切りによって処刑される。
本来は深夜の成人男性に向けられた彼の“密室芸”が世に浸透し、真の“復活”がなされるまで、しばしの時間を要することになる。
≪第2章:使徒たち≫

レオナルド・ダ・ヴィンチ 『タモリの晩餐』 (1495~97年)
いいとも教の教えを伝播する上で重要な役割を果たしたのが、トコロ、ツルタロウ、セキネ、ツルベといった優れた弟子たちであった。初期の業績は、彼らが残した福音書のほか、『ナベのコーラ早飲みの手紙』、『古館実況録』、『青年隊の黙示録』などで知ることができる。
かくして急速にその勢力を拡大した“いいとも教”は、“神聖いいとも帝国”へと組織を強固なものにしていく。
≪第3章:教皇アカシヤ3世の十字軍遠征≫

アカシヤ騎士団の紋章(大英博物館蔵)
快進撃を続ける“神聖いいとも帝国”において、長く絶大な権勢を誇ったのが、シットル家から出た教皇アカシヤ3世であった。
その天性のトーク錬金術によって、ここに「サイテー男」「アホちゃいまんねん、パーデンネン」などの名言を生む。また性行為を「エッチ」と言い換えて免罪する、性の“宗教改革”も成し遂げた。
さらに、“金曜いいとも”王朝を支配する彼は、同じ“スタジオ・アルタ”を聖地とする生放送の後番組『いただきます』王朝にたびたび遠征、首都小堺ティノープルの民を大いに苦しめた。
≪第4章:夢で逢えたらルネッサンス≫

ラファエロ 『“夢あえ”の学堂』(1509~10年)
そんな“神聖いいとも帝国”にも、新世代の才能が乱舞する時代が訪れる。
冷徹なボケで画期的な君主論を提唱した松キャベリ、変幻自在のツッコミで万能ぶりを発揮したレオナルド・浜田ヴィンチ、あるいは内村ファエロや南原ンジェロといった俊英が、その若き才能を存分に発揮してみせた。
伝説的コント番組『夢で逢えたら』で頭角を現した彼ら巨匠たち。“神聖いいとも帝国”におけるその在位は惜しくも長期には至らなかったが、“いいとも”の華として長く記憶されるであろう。
≪第5章:大航海時代≫
やがて“神聖いいとも帝国”の野心は、お笑い界にとどまらず、各界の名士にもその版図を広げていく。
帝国初期に東西ゲージツ航路を開拓した篠原クマゼランを先がけに、野村サッチー・コロンブス、橋田スガコ・ダ・ガマ、鈴木ソノコ・ポーロといった大物が、新天地を求めてバラエティ界に針路をとるのであった。
また、デーブ、サンコン、ケントの“外タレ三大発明”を世に送り出した功績は大きい。(セインも含めて“4大発明”とも)
≪第6章:ナイナイ市民革命≫

ダヴィッド 『サン・ベルナール峠を越えるナイナイポレオン』(1801年)
強大なアカシヤ3世の絶対王政を打倒したのが、同じヨシモト市民から蜂起したナイナイポレオン・ボナパルトだった。民衆の期待を背負って台頭した彼らは、アカシヤ3世に代わって“金曜いいとも”の新しい統治者となる。
しかし、新時代の到来を予感させたものの短命政権に終わり、結果的にアカシヤという求心力を失った“神聖いいとも帝国”は、事実上“共和国”体制に移行、混迷の時代を迎えるかに思われた。
≪第7章:ジャニーズ新大陸発見≫

ジョージ・中居ントン
そこへ彗星のごとく現れたのが、新大陸“ジャニーズ”から送り込まれた若者たちであった。
初代大統領ジョージ・中居ントンを筆頭に、エイブラハム・慎香ーン、J・F・ツヨシィといった清アイドル教徒がバラエティ界に移民、旧来のお笑い貴族社会を大きく震撼させた。(参考『世界にひとつだけのメイフラワー号』)
彼らの笑いに対する真摯な政治姿勢によって、若い女性国民を取りこむ中央集権体制を確立、「SMAPの、SMAPによる、SMAPのための“いいとも”」とまで言われる揺るぎない地位を築き、今日に至っている。
≪第8章:マチャミ人権運動≫

ドラクロワ 『民衆を導く自由のマチャミ』(1830年)
ノザワ、モリグチ、さらにここから世に出たシミズミチコといった女性芸人の社会進出を推進した“いいとも界”であったが、曜日のリーダー、一国一曜の主への壁は、想像以上に厚いものがあった。(参考『バラドルは踊る、されど進まず』)
しかしついに、時代を切り拓く優秀な指導者が現れる。すなわちワハハプスブルク家の女帝マチャミ・テレジアその人である。彼女は「よろチクビ」や“股間叩き”で瞬く間に民衆の心をつかみ、中居ントンと並ぶ“いいとも界”の盟主として今なお君臨しつづけている。
また、彼女の活躍により、ワハハプスブルク家の長姉である柴田リエザベス1世も即位に至った功績も忘れてはならない。
≪第9章:お昼の東西冷戦≫

みのもん沢東
しかし隆盛を誇る“いいとも共和国”とて、未来永劫の磐石を保障されているわけではない。
特にチャンネルの裏側、みのもん沢東率いる“おもいッきり人民共和国”は、“いいとも共和国”にとって大きな脅威である。
彼ら“みの衛兵”は「臓反有理」(内臓が体に反するのは理由がある)というスローガンを掲げ、未曾有の“プロレタリア健康大革命”を展開。高年齢層の絶大な支持を背景に、急速に発展・拡大を続けている。
≪最終章:新世紀へ≫

曜日対抗いいとも選手権首脳会議(いい7サミット)
そして現在、ツルベとセキネの常任理事国に、爆笑やカツマタといった中堅国、さらにはおすピーという“おかまもの国家”に至るまで、さまざまな利害や笑いを内包しつつ、今日の“いいとも”界を構成している。
また、近年の若手芸人投資ブームに乗り、新世代の旗手たちが続々登場、お笑い株式市場を賑わしていることを強調しておかねばなるまい。彼らの中から、新世紀のリーダーが生まれることを強く期待しつつ、本稿を終えることとしたい。
【自作 『カノッサの屈辱』】 2007.12.25 (Tue)
M-1お笑い戦国武将史(フジテレビ『カノッサの屈辱』ふう)
やぁ みなさん、私の研究室へようこそ…。
これは、フジテレビ伝説の深夜番組 『カノッサの屈辱 ('90)』 にならい、現代カルチャーの流れを歴史上の事象になぞらえて紹介する特別企画です。
第2弾のテーマは、『M-1グランプリの隆盛にともなう お笑い武家社会の形成』。きら星のごとく輝いた英雄たちの歴史ロマンを、どうぞごゆっくりお楽しみください。
序章 ≪竜虎相打つ~M1島の戦い≫

伝・武田紳助ん(高野山成慶院)、上杉人志ん(上杉神社)
西暦2001年、混沌とするお笑い界を打破すべく、ふたりの英雄が立ち上がった。
すなわち、武田紳助んと上杉人志んその人である。
しかしそれは、野望うずまく新たな動乱の序章にすぎなかった。両雄の総指揮のもと、あまたの若武者がその覇を競った“M1島の戦い”、たったひとつしかない天下人の座をめぐって、まさにその火蓋が切られたのである。
第1章≪お笑い下克上~有力守護大名の激突≫

狩野永徳 『洛中洛外図屏風・部分』 (米沢市上杉博物館)
戦国初期に頭角を現したのが、中川家と増田岡田家の2大守護大名であった。
吉本源氏と松竹平氏、ともに由緒ある名門のプライドを背負った両家は、し烈な天下争いを展開。激闘の歴史の先陣を飾ったこの両雄なくして「M-1」を語ることはできまい。
かくして、それぞれ初代、第2代覇者としてその名を全国にとどろかせたのであった。
一方で波田氏、長井氏、桜塚氏など一国一城の大名を輩出しながら、受けたら売れ、飽きたら捨てられるという、過酷な「下克上」の風潮を生みだした。
世に言う 「人世むなしい(1467)エンタの乱」 の始まりである。
第2章≪「キモカワ」「ボケボケ」~わびさびの境地へ≫

俵屋宗達 『フット神ボール神図屏風』 (建仁寺・京都国立博物館)
文化面では、茶の湯の世界で「きもかわ」の美を大成したアンガ利休のほか、笑い飯の匠が提唱した 「ボケ・ボケ」 の哲学がひとつの境地を極めてみせた。
しかしこの時代の文化を代表する傑作といえば、国宝 『フット神ボール神図屏風』 に尽きるだろう。
岩尾雷神の 「キモ・ハゲ」 と後藤風神の 「イケメン・ツッコミ」 の対比の妙は、正統の様式美を伝える当代の至宝として高い評価を受けている (第3代覇者)。
第3章≪南キャン貿易~女芸人の台頭≫

聖フラン静代・ザビエル (神戸市立博物館)
女性芸人たちの躍進も、お笑い社会の拡大と醸成に欠かせないものとなっていった。
「敵は どこ見てんのよ!」と叫び、織田ロンブー長に反旗を翻した青木光秀などが異彩を放ってはいたが、ことM-1界においてはフラン静代・ザビエルの衝撃を忘れてはなるまい。
彗星のごとく決勝の地に上陸、惜しくも全国制覇は果たせなかったものの、バラエティにドラマに映画にと 「以後よく(1549)広まる、しずちゃん教」 と呼ばれてあまねく支持を集めた。
また、馬場園・隅田氏のアジアン大名や、「ハリセンボンの矢」の故事で知られる近藤・箕輪氏が健闘を見せたほか、「出雲の変ホ長調」は草莽<アマチュア>から出た例として特筆すべきものがあった。
第4章≪お笑い太閤記~弱小階級から天下人へ≫

羽柴アンタッチャブル秀吉(高台寺)
吉本源氏・松竹平氏といった名門の血統をよりどころとするお笑い武家社会にありながら、東国の弱小組織から天下人にのし上がったのが、人力舎階級出身の羽柴アンタッチャブル秀吉であった。
柴田勝家英嗣が活躍した山崎弘也の戦いでの勝利を機に、その国民的名声を確固たるものに (第4代覇者)。
「鳴かぬなら 鳴かせてみせよう あざーっす」 は、その気性・芸風を表した名句としてつとに有名である。
第5章≪群雄割拠~お笑い戦国大名たちの乱舞≫
お笑い戦国武将の中には、比較的地味ながら実力と個性を兼ね備えた傑物が各地を割拠した。
「小杉竜」ハゲ政宗や 「加賀百万ブツブツ」吉田利家 (ブラックマヨネーズ) が、その代表的存在である。
彼らは互いに「ハゲ」「ブツブツ」と小競り合いを重ねつつも、当代屈指の実力派としてゆるぎない地位を確立しつつある (第5代覇者)。
また竹山崎一族などの足軽衆や、八木・中山筋肉寺といった宗教勢力がそれぞれの野心を胸に武装蜂起し、離合集散をくりかえしたこともこの時代の特徴といえよう。
第6章≪チュート大将軍~徳井川幕府の成立≫

徳井川家康・しかみ像(徳川美術館)
天下分け目の決勝戦で、もと天下人の岩尾三成と後藤の君 (フットボールアワー) を倒して新たな覇者となったのが、“チュート大将軍” 徳井川家康である (第6代覇者)。
今でこそ、その美丈夫ぶりがもてはやされる彼らであるが、過去3度の敗戦を耐え忍び、恥辱と挫折に泣いた末のうれしい戴冠であった。
新時代の担い手として、安定した長期政権の建設なるかが大きく期待されている。
第7章≪芸人元禄~お笑い文化人の誕生≫

東洲斎写楽 『麒麟田村裕 奴江戸兵衛』
やがて人々が天下泰平を享受するようになると、身分の垣根を越えて才能を発揮する者も現れはじめた。すなわち品川西鶴、十返舎ひとりといった戯作者たちである。
中でも近松''麒麟''左衛門は、代表作 『ホームレス心中学生』 などの貧乏物で一世を風靡、
無印の存在から時代の寵児へと華麗なる転身を遂げた。
この頃、美しき大奥女中の紀香と、一介のお笑い芸人・智則なる者との密通が露見し、世間をにぎわす。いわゆる 「絵島生島藤原陣内事件」 である。
最終章≪サンド維新マン~そしてまだ見ぬ未来へ≫

西郷タカトシ像 (東京・上野恩賜公園)
「M-1」界の周辺に目を向けよう。
外は新大陸「R-1」を制したディラン提督とキャサリンの黒船が来航、内は暴徒化した民衆による「そんなの関係ねぇじゃないか」運動など、いよいよ激動の時代を迎える。
蝦夷藩の雄・西郷タカトシによる「欧米か!」の大号令のもと、開国へと大きく舵をとる中、新政府を樹立したのは、前代未聞の敗者復活からのぼりつめたサンド維新マンの志士たちであった。
その中心人物・富澤諭吉は言う、「M-1は、芸人の下に芸人をつくらず」 と…。
…こうして新たなる時代へと突入した「M-1」界は、今年も成功のうちに幕を閉じた。
しかしそれは歴史の終わりではない。
笑いへの飽くなき欲求を満たすべく、まだ見ぬ未来、新しい英雄の出現が待たれるところである。
了。
【あとがき】
実は「M-1」は一度も見たことがない(!)のですが、あちこちから情報を集めて作りました。絵のうまい方、ぼく作よりずっとそれっぽい雰囲気の美術資料を、本気で大募集です。
もしお気に召されましたら、「Myカノッサの屈辱」第1作 『タモリ・キリストといいとも西洋史』 も、ぜひぜひご覧ください。