【アメリカ映画】 2017.04.08 (Sat)

真のアメリカの悲劇~『陽のあたる場所(1951米)』

『陽のあたる場所』

 親戚の大工場に仕事を得た貧しい青年。勤勉さを認められ昇進し、名家の令嬢との縁談も進むが、それまでの恋人が邪魔になってくる。恋人は妊娠していた――

 貧しい境遇から脱しようともがく青年の悲劇を描いた 1951年のアメリカ映画 『陽のあたる場所』。 監督ジョージ・スティーヴンス、主演モンゴメリー・クリフト、エリザベス・テイラー、シェリー・ウィンタース


 原作はセオドア・ドライサーの小説 『アメリカの悲劇』。暗い闇を抱えたネガティブな主人公像は、心身に傷ついた第二次大戦直後あたりから描かれはじめてきた('45年アカデミー作品賞『失われた週末』他)が、これはその最初の成果となった。
 何といってもブロードウェイの舞台劇出身、モンゴメリー・クリフトの名演によるところが大きい。声に出さずとも目の動きだけで苦悩やスリルが語れる緊張感は、今なお観ていて肩に力が入るほど。

 戦後の独占禁止法によりメジャー・スタジオ主導およびスター・システムが崩壊し、舞台劇の人材が続々ハリウッド映画に進出してきた時代の代表格。 役柄を研究しそれになりきる舞台流の 「メソッド演技法」 は、俳優のスター性に頼っていた従来のハリウッド映画に リアルで等身大の社会派ドラマをもたらした。
 (一方で演技へのストイックな没入は、少なからず彼の精神状態に負担をかけてしまったのは皮肉だった。クリフトは45歳の若さで没。)
 目の焦点はどこに合っているのだろう? 透明感のある彼の美しい目は、不透明の時代に生気を失いあてなくさまようようだ。


 そしてもうひとり特筆すべきは、脚本のマイケル・ウィルソン。本作でアカデミー脚色賞を受賞し、このあと 『戦場にかける橋』 『アラビアのロレンス』 『猿の惑星』 などそうそうたる名作を手がけながらも、共産主義を弾圧する 「赤狩り」 の犠牲となって公式から名前を外され、長く不遇の時代を強いられた。
 大戦中、共産主義はファシズムを共通敵とするアメリカの同盟者であり、多感な若者にとっては一種のトレンドであったにも関わらず、その戦中の態度が問われたのだから、国ぐるみの狂乱の嵐たまったものではない。

 彼はほかの 「ブラックリスト」 映画人同様、 魔女狩りの目がゆるいイギリス映画やインディペンダント系などで、名前を隠して糊口をしのいだ。
 いや、ぎりぎりでオスカーを受け取ることができた彼はまだ幸運なほうかもしれない。主人公の母役の女優アン・リヴィア('44年『緑園の天使』でアカデミー助演女優賞)は、ブラックリストに載ったとして出番を大幅に削られ、映画生命を絶たれてしまった。国家権力による理不尽で残酷な仕打ちの最たる例だ。


 『陽のあたる場所』 と同じ1951年にはエリア・カザン監督、マーロン・ブランド主演の 『欲望という名の電車』 も公開。ブロードウェイからの血を加えたこの2作はハリウッド映画史でもひとつの転換点となり、「動」のブランドと「静」のクリフトは新時代の寵児として大いにもてはやされた。 ともにアカデミー賞の最有力候補だったが、赤狩りを恐れたハリウッドは当たりさわりのないミュージカル劇 『巴里のアメリカ人』 を作品賞に選ぶ。

 「Then... in your heart was murder, George (君は心の中で殺人を犯した)」 

 本作で一番心に響いたセリフ。
 後年、赤狩りの犠牲者たちは相次いで名誉回復がなされる。脚本のウィルソンの名前も改めて公にされ、『戦場にかける橋』 に対しては2つめのアカデミー脚色賞が追贈された。
 国家による裏切りや密告が奨励された 「赤狩り(マッカーシズム)」 が激しかったのは1950年代前半の数年間であったが、その癒しには続く'60年代をまるまる要し、完全なつぐないを果たすには'80年代に入るまでかかってしまった。ウィルソンの 『戦場…』 へのオスカー追贈も、彼が亡くなった6年後の1984年のことだ。

 国や権力による暴走は、それだけ罪深い傷跡を残す。日本こそ繰り返してはならない。
 

タグ : アメリカ映画 モンゴメリー・クリフト マイケル・ウィルソン 赤狩り  テーマ : アメリカ映画  ジャンル : 映画

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【アメリカ映画】 2016.08.30 (Tue)

≪このアメリカ映画!≫書庫もくじ

  ≪アメリカ映画≫書庫もくじ

  真のアメリカの悲劇~『陽のあたる場所(1951米)』
  dog day な 『狼たちの午後(1975米)』
  隠れ名作/ポール・ニューマン『暴力脱獄(1967米)』
  『2001年宇宙の旅』ふたたび
  イースターだから 『イースター・パレード(1948米)』

  反戦をこめて・・・『ジョニーは戦場へ行った』
  『大脱走』 吹き替え版!
  ディズニーの 『白雪姫』
  原発と闘え!『チャイナ・シンドローム』
  ジャームッシュの 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』

  吹き替え版 『トータル・リコール(1990)』
  追悼…ホイットニーの 『ボディガード』
  『追憶』のハッピーエンド
  『ブルース・ブラザース』ネ申吹き替え!
  ジョン・バリーの『007』

  『サウンド・オブ・ミュージック』TV吹き替え版
  本物の女 『ジュリア('77米)』
  スピルバーグの『激突!』!!
  吹き替え映画まつり
  『あなただけ今晩は』~それはまた別の話

  デ・ニーロ&ハーマン『タクシー・ドライバー』
  '07-08アカデミー賞授賞式を見て
  『十二人の怒れる男』
  『バック・トゥ・ザ・フューチャー』!!!!
  『スタンド・バイ・ミー』異考

  ワタシが愛した007
  傑作コメディ『ギャラクシー・クエスト』!
  『ターミネーター』とハリーハウゼン
  2006年不眠の旅
  チャップリンのラスト・シーン

 

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19:17  |  アメリカ映画  |  EDIT  |  上へ↑

【アメリカ映画】 2016.08.29 (Mon)

dog day な 『狼たちの午後('75米)』


『狼たちの午後』

 銀行強盗に押し入った若い3人組。しかしお粗末な計画はすぐに破たんし、金も奪えず逃げられもせず、人質をとってただ立てこもるしかなくなってしまう――。
 シドニー・ルメット監督、アル・パチーノ主演による 『狼たちの午後 (Dog Day Afternoon)』。1975年アメリカ。



 「これは1972年8月22日、N.Y.ブルックリンで起こった実話である」
 


 汚ったないニューヨーク市街の素描にのせて、映画のopクレジット。'70年代どん底アメリカのナマの空気が伝わってくる。
 タバコの巨大看板も時代だなあ。電光時計は「2:57」の表示。

 「dog day」 とは 「暑い夏の日」 を意味するよく聞く熟語。8月はおおいぬ座シリウス(the Dog Star)が正面に見えることから。(ぼくは、犬のように舌をハァハァ出す暑さだから「dog day」だと思っていた。)
 邦題の「狼」はカッコつけすぎ。どうせなら 「野良犬たちの午後」 のほうがキャラクターにあってるのでは? (シリウスは漢字で「天狼星」と書くけども。)




 街の銀行に強盗に入ったソニー(アル・パチーノ)、サル(ジョン・カザール)、スティーヴィーの3人。しかし怖気づいたスティーヴィーがすぐに逃げ出すわ、金庫を開ければすでに空っぽだわと、出だしからつまづく。
 そうこうするうち、あっという間に警官隊に包囲されてしまった。思わずへたり込むソニーとサル。


 ソニー、包み箱からライフルを取り出していよいよ実行!・・・って時にバタバタ。このリアルな不器用っぷりは、ある意味で名場面。「ちゃんと計画したのか?」 と呆れる銀行員たちの気持ちも分かるというもの。

 終始わちゃわちゃしているパチーノと、無口で感情を表に出さないカザール。前年の 『ゴッドファーザー(1972、74)』 兄弟をそっくり入れ替えたようなキャラクターを演じているのがおもしろかった。




 ソニー、銀行の外に出て、警官隊を指揮するモレッティ刑事との直接交渉。カネが手に入らない以上、もはや要求は 「無事逃げられる」 こと。ハチの巣だけはごめんだ。
 銃を突きつける警官隊に「アッティカ!アッティカを忘れるな!」 のシュプレヒコール。野次馬たちの大喝采。

 
 本作最大の名場面、「アッティカ!」 のシュプレヒコール。
 これは実在する米アッティカ刑務所で起こった、看守による囚人への虐待・虐殺事件のこと(劇中でも簡単に説明される)。警察や公権力への不信が頂点に達した時代の叫び。
 パチーノのアドリブだそうで、ライヴ感あふれる熱気・迫力は満点。でも四面楚歌の中、賢いといえない実際の犯人が、民衆をアジるほど余裕あったのかな。

 刑事の手を振りほどき、「仲間を見捨てるわけにいかない」と行内に戻る主任のシルヴィア(ペネロペ・アレン)。かっこよくキメて歓声に応えるドヤ笑顔がちょっとニクたらしくていい。彼女、怪優ドナルド・サザーランドに似ている。




 ソニーの孤軍奮闘?は続く――

 人質の恋人が飛び出してきて殴られるわ、TVニュースのインタビューにも答えなくちゃいけないわ、ひっきりなしのいたずら電話はうるさいわで。「全員殺しちまえ」「女子行員とヤリまくってるのか?」・・・こいつらのほうがずっとアブない!)
 そして、裏口の包囲網に今さら気づいて大騒動。(初めてにして唯一の発砲。)


 いらぬ騒動に呆れる支店長(サリー・ボイヤー)に、ソニーの逆ギレ。「俺はあれもこれも大変なんだ!あんた代わりにやるか !?」 に笑った。お前が言うな。




 膠着した現場のぐだぐだ感はさらに深まっていく――

 宅配ピザの差し入れ。ソニー、野次馬たちの声援に応えて金をばらまいたものだからヤンヤの大喝采。(衆目の手前、さすがに警官たちはネコババしたりしない。)
 ピザ配達員、大役を果たした気取りで 「俺はスターだ!」

 銀行内では、人質の女子行員がソニーのライフルで遊んでいる始末。


 このあたりは、犯人と人質の間に奇妙な連帯感が生まれる 「ストックホルム症候群」 の典型とされる。女性行員たちののんきな軽口がかわいい (恐怖の裏返しではあるのだが)
 人質のシルヴィア、強盗はするのにタバコはガンになるから恐いと言うサルをあざけるような態度。両者の立場が逆転したような会話もあちこちで見られる。




 ソニーと同性愛関係のレオンが現場に呼ばれる。周囲の奇異と偏見に満ちた目。
 また、正妻アンジェラや母との会話が許されるが、自分ばかりベラベラしゃべる女たちにソニーはうんざり。


 後半部は、ソニーの人物背景が明らかに。ようやく同性愛問題が表に出だした時代で、当時はセンセーショナルだったのかもしれないが、今となってはやや退屈だった。 

 が、そもそもの強盗の動機は自分のためではなく恋人の性転換手術代だし、最初にぜんそく持ちの黒人警備員を逃がしてやるし(人種偏見も持っていない)、「サルを裏切ればお前だけは助けてやる」というFBIの揺さぶりにも乗らないし、あれほどウンザリしている妻や母を想って愛のある遺言状を書いている。
 また、人質たちの無礼にムカつきながらも、決して銃口を向けて脅したりしない。このへんソニーの「無私」と人のよさ (と言うより「お人よし」) に気づかされる。
 育ちかたを間違えてしまった、機会を逃してしまった人間の、後戻りのきかない痛恨を思った。

 なお、ゲイのレオンを演じたクリス・サランドンはアカデミー助演男優賞ノミネート。分からなくもないけど、本当なら相棒カザールが果たした演技・役割のほうがずっと候補にふさわしい。「俺はゲイじゃない、訂正させろ」 と本気で慌てる姿もおかしい。)





 そしてラストへ――。


 そしてラストへ。ネタバレになるので詳しくは書きません。
 ただ、解放された人質たちが後ろに目もくれず、喜びあいながら去っていく、当たり前といえば当たり前の現実が残酷だった。




 犯人も警察もマスコミも大衆も、だれもが解決の答えを見出せず、中途半端に右往左往する社会の停滞。 しかし本当に警察は無能なのか、マスコミは腐っているのか、大衆はバカなのか。
 誰が踊り、踊らされているのか。FBIのやり方ならいいのか――。

 子供のころ観た時は派手なドンパチがないので薄い印象でしたが、いやいやこの夏最後の 「dog day」 にぴったりな、ヒリヒリくる社会派劇。
 同'75年のアカデミー脚本賞を受賞したフランク・ピアソン、その細かな描写の積み重ねに拍手!な傑作快作でした。(前の記事、ニューシネマ黎明期の隠れ名作 『暴力脱獄('67)』 も執筆。)

 

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19:41  |  アメリカ映画  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【アメリカ映画】 2016.02.13 (Sat)

隠れ名作 『暴力脱獄 (1967米)』

『暴力脱獄』


 ポール・ニューマン主演、1967年のアメリカ映画 『暴力脱獄』 をはじめて観ました。実はどんな内容かも知りませんでした・・・。


 酔って街のパーキング・メーターを壊しまくった罪で、片田舎の刑務所に入れられたルークという男。
 古参の囚人たちは小ナマイキなルークが気に食わないが、やられても立ち上がるルークの根性と人柄に魅せられていく――



 ・・・とまで言えば、まぁ日本の番長マンガによくある話。
 ◆ストイックさ・豪快さを突きつめる日本流と違って、どこか柔軟・柔和な主人公のキャラクターが新鮮だった。
 ◆殴られても立ち上がる主人公に親分(G・ケネディ)が根負けするシーンは、のび太とジャイアンの一騎打ち 『さようならドラえもん』 の巻を思い出す。
 ◆「ゆで玉子50個大食い」のエピソードは、短いカットを矢継ぎ早につなぐ編集がムダに!かっこいい。最後ぶったおれた「十字架のキリスト」のようなポーズには、大げさすぎて笑った。


 ――最愛の母の死をきっかけに、ルークは何度も脱獄を図る。
 1度目、失敗。2度目、失敗。はじめは温情を見せていた看守による懲罰も、次第に苛烈なものに変わっていく。
 「改心しました」と泣いて看守の足にすがりつくルーク。これまで何度も立ち上がってきた彼が見せる醜態に失望し、背を向ける囚人仲間たち――



 「パーキングメーター破壊」「看守の杖」「十字架のキリスト」といったキーワードが、管理社会や権威・権力者への抵抗のシンボルとして浮かび上がる。
 と同時に、彼は無軌道なだけのアウトローではないし、強靭なヒーローを描きたいわけでもない。ルークという男とその物語の本質がだんだん見えてきた。

 「本当に参っていた。ただ"改心"しなかっただけ」

 若者の反抗・挫折を生々しく描いた 「アメリカン・ニューシネマ」 は 『俺たちに明日はない』 が始まりとされていますが、同じ1967年の本作にもその萌芽が見てとれます。


 ――そして三たびの脱獄。ところがすぐ、ルークは逃げるのをやめてしまう。
 無人の教会で、「神などいない」としたうえで、神に向かって訴えかける。不安と不透明の人生、自分にどうしろと言うのか・・・。



 社会を覆う、言いようのない生きづらさ、きな臭さ。
 主人公その人は頭のいい、行く先々で一目置かれるデキる奴ではあるが、自身は本当に何をやりたいのか見つけあぐねているような男。それでも、道まよい抗いながらも自分の言葉で訴えることに、われわれ現代人にこそ届く説得力がありました。無分別で破滅的なボニー&クライドとは違う、より21世紀的なアンチヒーロー像。

 そして最後のセリフ「俺たちは意思疎通に欠けてい・・・」。 究極の「意思疎通の欠如」 によって、この騒動は結末を見る。この瞬間は少なからずショックだった。最後の数10分は考えさせられた・・・。


 日本ではあまりメジャーではない本作。 『暴力脱獄』 というB級バイオレンスのような邦題で損しているという声がもっぱら。(原題はポーカーでいう「妙手」のことだが、今どきの「原題そのままの邦題」だったら、それはそれで芸がないだろうなあ。)
 いや、ヘンに内容を知らず、期待しなかったぶん、胸にグサリとくるものがあった。10代のころに観ておきたかった!
 

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21:28  |  アメリカ映画  |  コメント(2)  |  EDIT  |  上へ↑

【アメリカ映画】 2015.07.05 (Sun)

『2001年宇宙の旅』ふたたび


『2001年宇宙の旅』


BSで 『2001年宇宙の旅(1968米)』 をやっていました。

ごぞんじ、アーサー・C・クラーク原作、スタンリー・キューブリック監督によるSF映画不滅の名作。


サルが「道具を使う」ことを知り、それは同時に「殺人を犯す」ことにもなる”人類の夜明け”。

人間に反乱を起こす人工知能コンピューター”HAL9000”、みずから「完璧な存在」を追究するあまり、

次第に「感情」が芽生えていくという矛盾。「私は怖い・・・」


そして、『2001年』 といえば何といっても「♪パー、パー、パー」。

そう、テーマ曲に使われたリヒャルト・シュトラウスの交響詩 『ツァラトゥストラはかく語りき』!!

作曲は、ニーチェの同名哲学書に必ずしも沿った内容ではないそうですが、

この曲を用いたキューブリックの言わんとするところは、とてもニーチェっぽい。


あのチンプンカンプンな映画のラスト、自分が歳を取っていくさまを見つめ、やがて「スターチャイルド」に

生まれ変わる場面は、ニーチェの 「永劫回帰」 と 「超人」 思想に当てはめるとしっくりきます。

完璧になり損ねた機械知能ではなく、彼ボーマン船長が選ばれて、より高みの次元へと進化した。

・・・そうでしょ?もうそれでいいよ。


 全編、へたに説明やセリフ・効果音を加えなかったことが、大きな功罪になった。 21世紀の現代でも格調高く、その映像と世界観に圧倒される一方で、内容は 「1回見ただけじゃ分からない (キューブリック談)」 ほど超難解に。

 実際、このたびネットの映画サイトをのぞいたら、熱烈な信者から「??」な人までいろいろな意見が。
 「分からない」「退屈」だった人は堂々とそう言ってほしい。また、自分なりの解釈があれば遠慮することなく発言して、議論を豊かに広げたらいい。今回、そっちの意見を読んでるほうが面白かった。

 この映画を褒めなければ本当の映画ファンじゃないとか、逆にこの映画を語るヤツはカッコつけのインテリぶってるとか、サッパリ分からないけど世間が言うから好きな気でいるとか、そういうお互いを理解しない対立や、周りに倣うだけの思考の放棄は醜く不毛だ。
 西暦2001年を越えた今日、人類はそのくらいは克服して、新たな高みへと進化してほしいものです。



・・・と、今回はそんな事を感じました。また何年か後に観て、思ったことを書きつらねます。

20××年につづく・・・

 

(  テーマ : SF映画  ジャンル : 映画

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【アメリカ映画】 2015.04.02 (Thu)

イースターだから 『イースター・パレード(1948米)』

イースター・パレード

 欧米のキリスト教圏ではいまイースター(復活祭)一色。週末の連休に向けて、すっかり浮き足立っています。
 子供たちは、お外に隠した色とりどりの「イースター・エッグ」で宝探し。当日明けのごちそうの準備なんかでも大いそがし。(イースターのウサギは食べるわけじゃないのか。)

 そんなイースターといえば、1948年のミュージカル映画 『イースター・パレード』
 主演は豪華、フレッド・アステアジュディ・ガーランド。 当時ふたりとも 「半引退」 状態だったのに、ブランクをまったく感じさせない名演名唱!


 アステアなんか、ほんとに引退する気だったのかウソだろってくらい、激しく軽やかなダンスを見せてくれます。
 冒頭、おもちゃ屋さんで踊る 「♪Drum Crazy (ドラム・クレイジー)。子供に先に取られたぬいぐるみを、面白おかしく言いくるめてせしめる鮮やかな手口・・・いやステップに今日もほれぼれ。
 中盤の盛り上がり 「♪Steppin' Out with My Baby」 では、激しいダンスをスローモーションで見せる演出が斬新でカッコいい!

 何より、決してこまかい編集に頼らず、カメラの長回し一発で仕上げるところがすごい! それが一番感心させられる。
 この時代の(に限らず)スターたちは、裏では文字どおり血のにじむような鍛錬とリハーサルを重ね重ねていたとか。その上で、これだけの事をサラリとやってのけるのだから。

 ガーランドも、「♪I Love a Piano」 「♪It Only Happens When I Dance With You」 などで成熟した、堂に入った歌声を披露。歌唱面ではさすが、彼女がアステアをリード。
 だけどこの頃の彼女は、肉体的にも精神的にもボロボロだったと知っているから、なおさら泣けてきて仕方ありません。(下の【続き…】に。)

 ちなみに音楽は、あの 『ホワイト・クリスマス』 で有名なアーヴィング・バーリン。メドレー形式でキャッチーな旋律を惜しげもなく投入してくれます。

 アイディアにあふれて見どころいっぱい。主演男優が、監督が、脚本家も途中で代わる紆余曲折がありながら、驚くほど完成度の高い歴史的名作に。MGMミュージカルの大プロデューサー、アーサー・フリード全盛期の底力というか意地を感じさせます。
 ぼくもMGMものでは1、2をあらそうくらい好き。


 お話は、パートナーに捨てられたブロードウェイの人気ダンサーが、あらたに酒場の娘をきびしく鍛えていくうちに恋が芽生えて、というもの。いちおうイースターの時期が舞台になっているものの、特に関係なし・・・
 ・・・と思わせておいて、最後にどーんと持ってくる心憎さ。MGM社が誇るオープンセットに、何人集めたんだってくらいのエキストラを総動員して、にぎやかな 「イースター・パレード」 を再現してくれます。 オーラス、主題歌の大合唱での終幕にもう拍手拍手。

 ちなみにパレードといっても本当にパレードするわけではなく、この日ばかりはよそ行きのおしゃれをして、みんな大通りに繰り出しましょう、というもの。今日では奇抜な格好をしたりコスプレしたりする人も多い。
 ぼくはキリスト教徒じゃないから大して知らないし、人ごとなんだけど、すてきな映画を思い出せてくれてありがとう、なイースター・ウィークエンドでした。
 

タグ : フレッド・アステア ジュディ・ガーランド ミュージカル  テーマ : ミュージカル映画  ジャンル : 映画

00:14  |  アメリカ映画  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【アメリカ映画】 2014.09.11 (Thu)

反戦をこめて・・・『ジョニーは戦場へ行った』

ジョニーは戦場へ行った

 戦場で四肢を、目を、鼻を、口を、耳を失った男。それでも彼は生きていた・・・。
 痛烈な現実を突きつける反戦映画 『ジョニーは戦場へ行った』。1971年アメリカ。


 監督は名脚本家ダルトン・トランボ。
 トランボといえばアメリカの反体制思想を弾圧する 「赤狩り (マッカーシズム)」 により、長くハリウッドから追放されていたことで知られる。それでも彼は友人の脚本家「イアン・マクレラン・ハンター」の名前を借りて、ひそかにあの 『ローマの休日』 など名作を書いた。(ぼくはずっと後年、この闘士トランボと名作ラブロマンスがつながっていることを知って、あまりのギャップに驚いたものだ。)

 本作は、第2次大戦中に書いた自作小説を、ベトナム戦争中にみずから映画化。その間アメリカが戦争をするたび、何度となく発禁処分に遭ったいわくつきの問題作だ。


 実を言うと、映画としてはあまり上手くなかった。過去の回想シーンはカットのひとつひとつが長くてダレるし、(登場人物は大した教育を受けていないイナカ親子なのに)言葉の修飾が過ぎる。シナリオへの思い入れが深すぎて客観的になれなかった「監督兼脚本」にありがちなパターン。

 それでも終盤は目を離せないほど引き込まれた。(以下ラストに言及。)
 ――ひとりの心ある看護師の献身で、主人公は太陽の光を肌で感じ、自分の意思を伝える通信の手段を発見する。他者と分かり合い、自分を表現する喜びを得た主人公が発した「言葉」とは?そしてそれに対する「答え」は・・・?

 「 KILL ME!」

 「それでも彼は生きていた」 ではない、死ねなかったのだ。死ぬことすら叶わない生き地獄、彼はこれまでもこれからも、人間性を奪われた「ひと塊」の患者として時間を費やすしかないのか。
 観る者にとっても、心に光が差すような高揚から、せまく暗い絶望に押し込められたような急転直下。こんなに救いのない、皮肉で残酷な結末があるだろうか。


 ラストのテロップが示すとおり、これは戦争の悲劇の何億・何千万ぶんの一でしかない。国が勝とうが負けようが、一生を棒に振る傷と痛みを負うのはわれわれ 「個人」 だ。
 国家や軍や組織にとって、「個人」 など掃いて捨てるほどあるチリ芥でしかない。そのくせ忠誠と沈黙を求めたがる理不尽さに怒りをおぼえた。

 

タグ : アメリカ映画 反戦 戦争映画  テーマ : 戦争  ジャンル : 映画

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