【このアート!】 2017.10.21 (Sat)

雨の『運慶』展

「運慶」展
(円成寺・大日如来像)

 話題の 『運慶』 展に行きました。上野・東京国立博物館。雨ならいくらかすいているだろうと期待をしつつ、それでも熱気ある賑わい。

 それもそのはず、父の康慶や息子湛慶、康弁の作も含めた、教科書にも載ってるような仏像界のスーパースターがこれでもかの勢ぞろい。運慶といえばあまりにも有名な東大寺南大門の金剛力士像・・・の来展は無理ですが、これ以上ない代表作群。
 たとえば如来像ひとつとっても運慶の各年代のものが集められているので、彼の成熟が分かりやすく伝わってきてとても勉強になりました。


 中でも好きな、一番の目的がデビュー作の 『円成寺大日如来像』 です。(上のポスター)
 デビュー作にしてこの完成度! 見るからに若々しい肌。体内から止めどなくあふれる精気が、今にもパンパンに弾けんばかり。それでいて何ものにも動じない威厳と風格。

 運慶は通常2~3カ月でできる仕事を、11カ月もかけて製作。また新人なのに自分の銘もしっかり記されているなど、若き天才の並々ならぬ意気込みと自負が感じられます。仏師直筆のサインは現存する最古のものだそう。(フランス革命期のそれとはまったく別物にせよ、)芸人・職人から芸術家への「自我」に目覚めたベートーヴェンに先駆けて、と言えるかもしれません。

 ちょうど時代は源平の武家政権による変革期。武家好みの雄々しい作風で時代の波に乗った父・康慶率いる慶派は、鎌倉仏像の代名詞として世を席巻します。平安貴族時代のスタンダード「定朝(じょうちょう)様」の見下ろすようなまなざしではなく、等身大の、同じ現世を生きる者の目線を意識したダイナミズムとリアリズム。


 ほか、静かに射貫くような眼光の大傑作 『興福寺無著・世親像』。実際は運慶の子供たちの作であるように、今日に伝わる30超の作品数のうち、本当に運慶のその手によるものなのか、名前貸しの「総監督」名義でしかないのかは分かりませんが、なかなかこれだけの数が一堂に会するなんてことはないので、実にいいものを拝ませてもらいました。
 父や子、一門の名前ももっと知られてほしい。素晴らしいんだから、何でもかんでも「運慶」ブランドに飛びつかなくてもいいじゃん。周辺の作品すべてかっこよかった!

 
23:17  |  このアート!  |  コメント(1)  |  EDIT  |  上へ↑

【このアート!】 2017.04.02 (Sun)

≪このアート!≫書庫もくじ

  ≪美術≫書庫もくじ

  雨の『運慶』展
  圧巻!『赤ん坊1700人のコラージュ』
  ピカソの陶芸
  バロックの革命児カラヴァッジョ

  ブリューゲルのおしり星人
  光琳の「燕子花」と「紅白梅」
  ウフィツィといえばボッティチェリ
  アンリ・ルソーの 「子ども」 絵
  水墨画の秋

  ソール・バス×Google!!!!
  ウィリアム・モリスはお好き
  ジャクソン・ポロック展
  ジョジョ立ちロダン
  デ・ホーホ・・・明日のフェルメールはきみだ!

  琳派ビッグ・スリー
  酔っぱらいとカンディンスキー
  北斎250歳
  ロートレックと野口久光~仏ポスター展
  阿修羅vsルーヴル

  ジョアン・ミロ展
  ピカソ展とフェルメール展
  『対決-巨匠たちの日本美術』展
  東大寺の四天王
  東大寺法華堂オールスターズ

  新薬師寺の超サイヤ人
  向源寺・官能の菩薩像
  フェルメール『牛乳を注ぐ女』展
  たすけて!小松崎茂
  モネ『日傘の女』
 
20:26  |  このアート!  |  EDIT  |  上へ↑

【このアート!】 2017.03.30 (Thu)

圧巻!『赤ん坊1700人のコラージュ』

江崎礼二 『赤ん坊1700人のコラージュ』


かわいい赤ちゃんも、ここまでやりすぎると異様な迫力。

江崎礼二 『赤ん坊1700人のコラージュ』。1893年。


江崎は “日本写真史の父” 上野彦馬にも師事した明治の写真家。

早撮りを得意とし、「じっとしていられない子供でもきれいに撮りますよ」という腕を宣伝するための

作で、浅草にあった自身の写真店の店先に展示されていたらしい。


本当に1700人が写っているのかは分からないが、それだけの数をこなしてきたという事なんだろう。

こんな赤ちゃんじごくなら堕ちてみたい。かわいすぎて悶絶しそう。


人様の著作物をまるまる載せるのは気が引けるので、申し訳程度に縮小しました。ごめんなさい。

作品は、飯沢耕太郎 『深読み! 日本写真の超名作100』 という本に掲載。

彦馬の幕末から現代までの名作写真が紹介されていて、気軽にパラパラめくるだけでもおもしろい。

この「赤ちゃん1700人」と、棺に納められた我が子の写真。ぼくが魅かれたのはくしくも「子供」2作。

後者は胸が詰まった。

 
22:41  |  このアート!  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【このアート!】 2016.11.23 (Wed)

ピカソの陶芸

ピカソ 陶芸 - Google 検索


 長い人生で膨大な作品と作風を残し、どこから見たらいいのかすら分からないピカソの芸術。

 若い時分は暗く鬱屈した 「青の時代」 に共感していたけど、「ばら色」 やアフリカイズムの時代を経て、今はピカソの 「陶芸」 に惹かれています。
 自分の成長がピカソの変遷をなぞるかのように、ピカソ史の順番に興味が移っているのが不思議。


 作られた時期は第二次大戦直後の1940年代後半に集中。陶器は職人が作って、ピカソはもっぱら 「絵付け」 だけだったとか。

 色あざやかで奔放で、食卓にふさわしい生気にあふれていて。
 レプリカでいいからほしい! うやうやしく飾るんじゃなくて、気軽に普段使いの食器にしたい。

 「二次元と三次元、平面と立体」(・・・つまり「キュービズム」)と、アフリカなど「プリミティブ(原始)芸術」への憧れ・・・、立体的な陶芸は、ちょうどぼくがイメージするピカソにぴったり。
 でもあくまで一時期の「余技」であって、本気で立体造形の道に進まなかったのも分かる気がします。二次元で戦ってこそピカソ。


 上のGoogle画像にある本 『ピカソの陶芸』 は、オールカラーで親しみやすい構成でした。
 技法や製作現場などの具体的な情報もほしかった。(造形は指示だけで作陶しなかった? 南欧の陶芸の特徴は?)

 
09:07  |  このアート!  |  コメント(1)  |  EDIT  |  上へ↑

【このアート!】 2016.03.12 (Sat)

バロックの革命児カラヴァッジョ

カラヴァッジオ『ゴリアテの首を持つダヴィデ』
カラヴァッジオ 『ゴリアテの首を持つダヴィデ (1610頃)』


 イタリア美術の巨匠カラヴァッジョの展覧会が東京ではじまりました。

 ルネッサンスからバロックへと、時代をこじ開けた革命児。(海の向こうは関ケ原や真田丸の1600年ごろ。)
 ティッツィアーノなりヴァザーリなりティントレットなり・・・、それまでの、ミケランジェロ以来の様式美を重んじる「マニエリスム」派と比べると一目瞭然。 描かれる人間の生々しさ、下品さ、血なまぐささ!
 ・・・はっきり言ってぼくは苦手でした。


 キューピッドがちんちんをさらけ出してニヤつく 『愛の勝利』。キューピッドがつかさどる「愛」は「エロス」の事だとしても、このドヤ顔はもはや変態だ。(以下、リンク先はGoogle画像検索ページ)

 代表作のひとつ 『バッカス』 は日本の芸者みたい。昔の「赤玉パンチ」の広告にありそう。そもそも 「バッカス=ディオニュソス的」 な感じじゃないし。


 そしてカラヴァッジョといえば、メデューサ、ゴリアテ、ヨカナーンらのおぞましい生首の数々!
 カラヴァッジオ自身、素行が悪く殺人まで犯したヤクザな男として知られていますが、40年にも満たないすさんだ人生で見たものは、それだけ醜く罪深いものばかりだったか。描かれた生首の多くは自画像なんだそうです。(法的・財的パトロンに向けての「ざんげアピール」との声がもっぱら。)

 人間、見たくないものにはじめて光を当てた、生々しいドラマ性。
 首を斬る瞬間の一枚 『ホロフェルネスの首を斬るユディト』 は、後継者にあたるアルテミジア・ジェンティレスキ作のほうがずっと迫真・凄絶ですが、それだけ後の世代にショックと影響を与えたということ。
 彼がいなければ、ルーベンスもレンブラントもベラスケスも、果ては印象派マネまでなかっただろうと言われるのもうなずける。神々から真の「人間」の時代へ――。その絶大な影響力、開祖ミケランジェロをエルヴィス・プレスリーとするなら、異端児カラヴァッジョはジミ・ヘンドリックスみたいなものでしょうか。


 中でもぼくが唯一(!?)好きなのは、記事上の作品 『ゴリアテの首を持つダヴィデ』。(無断掲載ごめんなさい)
 英雄とされるダヴィデの、この何とも言えない表情!
 とはいえ、単純なせつなさ・哀しみ・無常感とはぜったい違うと思います。「ほれ、首獲ってきた」「うへー、血ヘドがついたー」といったような、「死」が身近で隣り合わせにある者の日常のひとコマ、その絶妙の瞬間を切り取ったにすぎないのではないか。 ぼくには現代の戦場写真で見たあるゲリラ兵の顔と重なり、生首以上に衝撃を受けました。
 
00:11  |  このアート!  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【このアート!】 2015.09.16 (Wed)

ブリューゲルのおしり星人


ブリューゲル『悪女フリート』(部分)(部分)
「ブリブリブリブリ」 「コラ~、しんのすけ~!」


 きっかけはこの絵でした。
 地獄行きも物とせず突進する 『悪女フリート』。その足もとにいる、口・・・いやお尻にスプーンをくわえた化けもの。
 はじめは「変な絵だなー」と思ったくらいでしたが、探せば出てくるお尻、お尻、お尻・・・

 16世紀オランダの大画家ピーテル・ブリューゲル(父)は、おしりが大好きです。


◆  ◇  ◆


 元祖 「ケツだけ星人」。(クレヨンしんちゃん)
 地獄の入口で待ち受ける、「貪欲」を象徴する化け物だそう。ほかの大衆向け銅版画などにもたくさん登場します。


ブリューゲル『七つの大罪・好色』(部分)
「まま~、おむつかえて~」                           


 連作銅版画 『七つの大罪』 より 「好色」。
 つっこみ所ありすぎ。ちんこ切んな~!

 ひと世代前の怪 ? 画家、ヒエロニムス・ボス作品の模倣・影響だと言われています。


◆  ◇  ◆


 そんな大ブリューゲルは、ふつうのおしりも大好き。
 『ネーデルランドの諺』 では、なかよくトイレですっぽんぽん。あちらのことわざで 「類は友を呼ぶ」 「くされ縁」 を意味しているんだとか。


ブリューゲル『ネーデルランドのことわざ』(部分)(部分)


 のんきなお尻と、男の冷たい視線の並びがシュール。ちょっと漫☆画太郎がはいってる。


◆  ◇  ◆


 そしてブリューゲル畢生の大作 『バベルの塔』。ブリューゲルといえば一も二もなく 『バベルの塔』
 しかし塔なんかどうでもいい、ここにもお尻がいた。ニムロデ王にひざまづく工夫たちのはるか遠景に、お尻を出している人が!


ブリューゲル『バベルの塔』(部分)(部分)


 しかもうんこをしています。
 こっち向くなー。もっと陰でやれー。

 おばあさんは川で洗たくを、おじいさんも川でうん・・・
 ・・・世にもおぞましい桃太郎。こういうのがいるからペストが流行るんだよ。


◆  ◇  ◆


 「農民画家」と呼ばれたブリューゲルらしい、いち早くキリスト教会の呪縛から解放された市民国家オランダらしい、ごくごく人間的な営みへのまなざし。
 上からの押しつけではない、ごくあたりまえに生きることへの素朴なからかいや愛情が、ブリューゲルの魅力です。

 「Google Cultural Institute」 というサイトで、大きく鮮明な全体像が見られます。(勝手に画像を拝借してごめんなさい。)

 
19:45  |  このアート!  |  コメント(2)  |  EDIT  |  上へ↑

【このアート!】 2015.05.26 (Tue)

光琳の「燕子花」と「紅白梅」

光琳・燕子花と紅白梅
(MOA美術館ver.)


 尾形光琳の2大傑作、『紅白梅図屏風』(こうはくばいずびょうぶ)『燕子花図屏風』(かきつばたずびょうぶ) を一緒に並べた展覧会がありました。
 それぞれを蔵する、MOA美術館(熱海)と根津美術館(東京)にて。
 日本美術史上でもツートップ、「超」がつくほどの2大傑作。 またとないチャンスなのに、東京を離れていたので行けませんでした。 花の数だけ叫びたい。


 晩年の大作 『紅白梅図屏風』 は、何といってもあの大胆かつドラマチックな構図!
 まずは左右の梅の枝ぶり。「あうん」の金剛力士のように大地からほとばしるオーラ。かっこいい!
 左の「白梅」の太い幹はあえて見せないことで、端正な右の「紅梅」とのバランスを取っている。画面の外にはどんなたくましい体躯がそり立っているのだろう? 『ミロのヴィーナス』 のように想像する楽しみもあるかも。なんてぜいたくな演出。

 そしてそして、その真ん中に無遠慮なくらいどんと広がる水の流れ。この勇気。
 21世紀に入ってからも、あれは金箔なのか金泥(という絵具)なのか、これは銀箔なのか銀メッキなのかなどとカンカンガクガクだそうですが、その際CGで再現された「銀色の波」のあざやかさ、ソリッド感には目が覚めるものがありました。

 ・・・ぼく認定、日本美術史上最高傑作。
 あぁ、今はもうMOAに帰ってしまったのか。 熱海だよ、熱海。だれか熱海に連れてって。


 一方の 『燕子花図屏風』 は、その名のとおり一面に並んだ壮観のカキツバタ。 センスがものをいう絶妙の配置からは、音楽すら聞こえてきそう。 究極のコピペ芸術。
 ただ、真上に伸びる葉っぱの筆づかいには即興的な勢いを感じるのだけれど、花のもったり感にはあまり魅かれない。それは「豊かなボリューム」と言い換えるべきなのか・・・。

 また、「かきつばた」といえば「八つ橋」がセット(お菓子じゃないよ)。 『伊勢物語』 の有名な
  「から衣 着つつ慣れにし つましあれば はるばる来ぬる 旅をしぞ思ふ」
 の場面ですね。 でも、ここに八つ橋はない。光琳の別のかきつばた図 には、ちゃんと描かれているのに。何か別のアイテムや事象で補完せよ、ということなんだろうか。

 東京でいつでも見られるという気持ちがあるからこそ、まだありがたみが分からないのかも。だからと言って、都に残した妻を偲ぶ 「からころも・・・」 になってからでは遅いんだろうな。
 今ごろになって逃したチャンスの大きさに気づきました。展覧会は5月半ばで終了――。

 
18:49  |  このアート!  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑