FC2ブログ

【日本映画】 2019.08.27 (Tue)

忘れられた原爆映画 『ひろしま(1953)』

『ひろしま(1953)』
(ソフト化されていないのでWikipedia内のスチール写真を拝借)

 この夏、NHKが特集していた映画 『ひろしま(1953)』。原爆の惨禍とその前後を描く、被爆からわずか8年後の作品。
 こんな映画があったなんて、不覚にもこのたび初めて知りました。ぜひ再放送してほしい。

 のべ9万人近い市民が参加したという人、人、人の映像力! それぞれの記憶と誓いを背負った人の波のうねりに圧倒。
 焼け野原を幽鬼の如くさまよう人の列、救護所の一面を埋め尽くす人の阿鼻叫喚・・・。崩落したコンクリートの建物も、当時はまだ原爆ドーム以外にも残されていた。かなた遠景まで広がる地獄絵図は、これまでなかなか真実を再現しきれなかった 「原爆映画」 の歴史を覆すだけの迫力がありました。

 ――ただし目を剥き体を揺するプロの俳優陣は演技が過剰 (重傷・大やけどを負ったらなるべく体が動かないよう、触れないよう幽霊のように歩くという)。始終かぶさる女声コーラスもお涙頂戴で鼻につく。
 死者が立ち上がるラストシーンも作為が過ぎる。制作にかける強い思いと意気込みは文句なく立派だが、肝心のプロの演出・演技のせいで、この被爆の場面は衝撃が半減した。


 ――被爆前後の物語パートも教示に富んでいました。
 『君が代』を歌いながら力尽き川に流されていく女学生たち。瓦礫の下で「軍人勅諭」を暗誦する少年。焼け出されて食うに食えない人の列の横で、なおも市民に奉国を強いる軍人の空疎な演説・・・。
 軍国主義と一体化した “平凡な” 市民生活。その洗脳と受容の根の深さには心底ぞっとさせられた。

 ラストは、被爆者の遺骨をアメリカに売って日銭を稼ぐ原爆孤児の青年。朝鮮戦争で使う爆弾工場で働くよりはましだという青年の叫びからは、「再軍備」 「逆コース」 の時代への恐怖と怒りが突き刺さりました。


 映画は日教組が企画したものを、映画界の有志が製作。
 大手映画会社は建前上 「アメリカに配慮して」 全国公開に二の足を踏み、そのまま埋もれて忘れ去られたというが、本音は戦争を否定されては困る日本人そのものの都合と利害によるのだろう。
 被爆・敗戦したそばから歴史を忘れ、被害者を口汚くなじる行為は今日まで連綿と続いている。従軍慰安婦像すら展示させない日本人に、戦争被害を語る説得力はあるのか。原爆も虐殺も性被害も、人類共通の悲劇として共感・共有できないこの国の現実に、もはや国単位でなく“横”の市民のつながりの重要性を感じました。


 『ひろしま(1953)』
 監督/関川秀雄
 出演/「…一般市民 延八万九千五百余人」
     岡田英次、月丘夢路、加藤嘉、山田五十鈴ほか


 
21:18  |  日本映画  |  コメント(1)  |  EDIT  |  上へ↑

【日本映画】 2019.05.26 (Sun)

≪この日本映画!≫書庫もくじ

  ≪日本映画≫書庫もくじ

  忘れられた原爆映画 『ひろしま(1953)』

  天才監督・山中貞雄の『丹下左膳』
  小津 『お茶漬けの味('52)』 はお口に合いまして?
  納涼!『東海道四谷怪談(1959)』
  三船と黒澤(前編)~『銀嶺の果て(1947)』
  高峰×成瀬の『女が階段を上る時(1960)』

  『修羅雪姫』~梶芽衣子さまに斬られたい
  『ゴジラ』第1作だけあればいい
  武満徹、映画音楽の旅
  溝口健二 『祇園囃子('53)』 は美しいか
  小津安二郎をみたけれど (1)

  小津安二郎をみたけれど (2)
  おいしい映画 『南極料理人('09)』
  小津とおならと『お早よう』と
  小林正樹×橋本忍『切腹(1962)』
  勅使河原宏・安部公房『他人の顔(1966)』

  日米競演『Shallweダンス?』
  伊丹十三の大傑作『タンポポ』
  高峰×成瀬の『乱れる(1964)』
  小津安二郎『秋刀魚の味』
  時代劇の名悪役トリオ

  【黒澤明】
  クロサワ版マクベス
  黒澤映画の悪女・山田五十鈴
  黒澤映画の原節子
  黒澤明『静かなる決闘』・・・の千石規子
  黒澤明『隠し砦の三悪人…の雪姫』
  黒澤明没後10年『七人の侍』

  【名キャメラマン宮川一夫】
  溝口健二『雨月物語』
  稲垣浩『無法松の一生(1943“阪妻”版)』
  黒澤明『羅生門』
  市川崑『炎上』
  小津安二郎『浮草』
  映像の神様・宮川一夫

  【宮崎駿】
  ポニョと未来少年コナン
  天空の城ラピュタ、みました。
  カリオストロの城、みました。
  風の谷のナウシカ、みました。
 
19:07  |  日本映画  |  EDIT  |  上へ↑

【日本映画】 2019.05.25 (Sat)

天才監督・山中貞雄の『丹下左膳』

『丹下左膳余話・百萬両の壺』

 戦前の天才映画監督・山中貞雄(1909~1938)。戦争によって29歳の命を奪われたうえ、フィルムも散逸して現存する作品はわずか3作のみ。

 『丹下左膳余話・百萬両の壺』(1935)
 『河内山宗俊』(1936)
 『人情紙風船』(1937)


 それでもその3作いずれもが日本映画史上の傑作として現代でも親しまれている、恐るべき天才です――。


 『丹下左膳余話・百萬両の壺(1935日活)』
 大河内傳次郎の当たり役となったチャンバラ劇のニヒルなアウトロー「丹下左膳」を、ホームコメディにしてしまった奇想天外。
 (シリーズ3部作の堂々完結編をコメディにされて、原作者・林不忘はご立腹だったとか。前2作を大ヒットさせた監督・伊藤大輔が退社後の、誰もやりたがらなかった重すぎる後任。山中はならばと思いきり割りきって、自分色に染めあげたのだそう。)

 百万両のありかを記した壺をめぐる、左膳と柳生一門との争い・・・が物語としてありながら、おもしろいのは左膳とその女房・お藤の丁々発止の掛けあい。口を開けばケンカばかり、お互い嫌だ嫌だとさんざんゴネておいて、場面が変わると喜々として尽くしているこの笑いのセンスが抜群!
 山中はカメラをあまり動かさない代わりに、こういうカット編集だけで映画の躍動感、楽しさを与えてくれます。

 表向きはお藤の店の用心棒という左膳だが、平たく言えば女の「ヒモ」な生活。ライバルの柳生源三郎(演・沢村国太郎=長門裕之・津川雅彦兄弟の父)も、肩身の狭い婿養子をスネてる軽薄なキャラに変更。
 ほんとダメ男ばかり。だけど憎めない、これがまたおかしい!

 一方の女性陣は美女ぞろい。左膳の情婦「お藤」役の喜代三(きよぞう)さんは向こう気の強い姉御肌。メイクも現代的で、余計な飾り気がなくとも艶気あふれるこのカッコよさ! 芸者から流行歌手、そして本作での女優起用へ、という転身は当時画期的だったそうです。
 かたや店の娘役・深水藤子さんという方の、なんと可愛らしいこと! 山中監督とは恋仲だったそうで、源三郎がふらり見初めるシーンなど、特別な愛情をもって美しく撮ってもらっているのが分かります。(下の動画のサムネイル画像)


 ――世界恐慌に始まる不穏・不透明な時代に生まれた、異形異色のアンチヒーロー『丹下左膳』。先立つ伊藤大輔監督版では主君に捨てられ怨みの中死んでいった左膳が、山中の才覚でたまらなく可笑しくたまらなく愛おしい 「逆・異色作」 となって、21世紀のわれわれをも楽しませてくれます。

 しかし軍に招集された山中は戦地で病死。その後の戦火や困窮により生き残ったフィルムもわずか3作とは「チト、サビシイ 」 (山中)。命も文化遺産も灰と消した狂乱の時代を恨まずにはいられません。
 
20:24  |  日本映画  |  コメント(2)  |  EDIT  |  上へ↑

【日本映画】 2018.10.17 (Wed)

『お茶漬けの味('52日)』 はお口に合いまして?

小津安二郎『お茶漬けの味』

 BSで黒澤明小津安二郎の映画を特集していました。小津の何本かは観たことがなかったので、保存用に録画しました。
 その一本、中年夫婦の倦怠期を描く 『お茶漬けの味』。1952年。田舎育ちで無口な夫(佐分利信)と、お嬢様として育った勝気な妻(木暮実千代)のお話。


 最初の1時間は、キャラクターが退屈でたまらなかった。
 温泉宿での「女子会」の、男の筆が見えるリアリティのなさ。古い日本の女の家庭観・男女観に付き合わされるのはつらい。彼女たちがそれ以上に古い日本の男にうんざりしているように。新憲法からまだ5年、戦前を引きずる社会の幼稚さ未熟さが垣間見える。
 小津が造形する若者像も相変わらずつまらない。お見合いをすっぽかした姪(津島恵子)が叔父の家に逃げてくるって、まぁご都合よろしいこと。彼女に自分の世界はないのかしら。お友達いないのかしら。

 後半ようやく、積もり積もった妻の不満が爆発してお話が動き出す。
 「鈍感さん」とあだ名された夫は自分の野暮無粋を詫び、「君は君のままでいい」と歩み寄る。ところが今度は妻の方が話し合いを拒否、ボタンの掛け違いが重なっていく。
 そこで派手な仕掛けを用意するでなく、時間の経過と人間の良識を信じて「雪解け」していくのが小津らしい自然な味つけ。(考えこむ妻のカットに頼りすぎではあるが。)


 お手伝いさん(感情がない役なのに重要に映る小園蓉子に家事いっさいを任せている、生活のリアルに追われる必要のないエリート家庭の物語。だからこそラスト、なんてことない「お茶漬けの味」が格別なものになるのだろう。
 ツンの後のデレが小津にしてはくどすぎたのと、「男は中身だ」と説教くさい結び。ようやく小津が分かる歳になったのに、またガクンときた。口直しには何がいいだろうか。


『お茶漬けの味 (1952松竹)』

監督/小津安二郎
脚本/小津安二郎、野田高梧
撮影/厚田雄春 (前後へのドリー<移動>撮影が新鮮な情感!)
音楽/斎藤一郎

主演/佐分利信、木暮実千代、津島恵子、鶴田浩二、淡島千景
(こういう勝気な女性をやらせたら、木暮姐さんの右に出るものなし。もっとも脇の淡島姐さん共々、まだ力をセーブした変身前のフリーザ様って感じ。こんなものではありませんよ。)


 
18:53  |  日本映画  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【日本映画】 2018.07.19 (Thu)

納涼!『東海道四谷怪談(’59)』

『東海道四谷怪談(1959)』DVD

 暑い夏には映画 『東海道四谷怪談』
 中川信夫監督、1959年、新東宝。

 ごぞんじ 「お岩さん」 の悲劇。
 子供のころ、雑誌に写真が載っていてめちゃくちゃ怖かった記憶がある。今回初めて観ます――。


 どこまでも人生に受け身で簡単にだまされる、古い日本の女性像がまったくおもしろくない。
 ようやく、夫・伊右衛門に裏切られ毒を盛られるかの名場面 「この恨み、晴らさずにはおくべきか」 は、それまでの服従と忍耐が一気に爆発して真に迫るものがあった。
 しかしそこからの彼女は、お化け屋敷の「おどろかし」に終始。それはそれで畳みかける恐怖、迫力ある映像演出ではあったのだが、女性の内面描写という点では現代ではまったく物足りなかった。お岩を体当たりで演じたのは若杉嘉津子さん。

 対する夫・民谷伊右衛門を演じるのは若き天地茂さん。
 不実の果てにお岩の亡霊に狂乱する、怒涛のクライマックス! なるほど本作は彼が主役だ。すさんだ生活の中で妻に飽き、疎みながらもいざ殺すとなるとためらいを見せる多層的な人間像。こういう深みをお岩にも与えてほしかった。
 ニヒル、ダークな “マダムキラー” 天地さんにとって出世作になったそうだ。伊右衛門をそそのかす直助役・江見俊太郎さんの、軽薄なずるがしこさも強く印象に残った。


 撮影はのちにブルース・リー作品など香港映画で重きをなす西本正さん。美術はこれら怪談映画で活躍した黒沢治安さんという方。照明の折茂重男さんや編集の永田紳さんらも併せて、テンポのいい映像は素晴らしかった。
 音楽はアニソンの巨匠・渡辺宙明さんだったのか。たしかにマジンガーみたいなティンパニ連打がチューメイさんらしいや。
 
22:42  |  日本映画  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【日本映画】 2018.02.08 (Thu)

三船と黒澤(前編)~『銀嶺の果て('47)』

三船×黒澤『銀嶺の果て』

 2017~18年は、三船敏郎(1997年12月没)と黒澤明(1998年9月没)の没後20年です。
 言わずと知れた、日本映画史上最強の名コンビ。

 「東宝ニューフェイス」 第1回オーディションの場。カメラマン志望なのに俳優部門に回されてふてくされていた三船を、噂を聞きつけた黒澤が無理に合格させた、というのは有名なエピソード。そこから始まる黄金の20年余――。
 このたび、その最初の共作 『銀嶺の果て('47)』(初鑑賞)と、最後の作品となった 『赤ひげ ('65)』 を観ました。


 三船のデビュー作 『銀嶺の果て』谷口千吉監督、黒澤は脚本を担当。1947年東宝。
 豪雪の日本アルプスに逃げ込んだ銀行強盗犯たちの顛末を描くサスペンス・ドラマ。人の温かさに触れて改心する志村喬に対し、三船は最後まで欲とエゴにまみれて破滅する若い強盗犯を演じる。

 彼も監督デビューだったという谷口監督の演出は迫力満点。本当に人が飲み込まれたかのような雪崩のシーンは、演出と編集の妙。また、雪原を疾走するスキーの美しさや、志村がピストルを崖から投げ捨てる=悪と決別する場面の荘厳さ・・・。昔のスタンダードサイズの小画面ながら、雪山の魅力を余すところなく活写しています。

 黒澤の脚本も娯楽と人間ドラマに富んでいて面白かった。
 事件に巻き込まれた登山家の、山男としての矜持に胸を打たれた。これを演じる河野秋武は黒澤の最初期作品で主役級を演じた常連だったが、このあと労使紛争 「東宝争議」 に身を投じて東宝を離れ、これが最後の黒澤作品となったのは皮肉。

 ほか、後の 『ゴジラ』 音楽で有名な伊福部昭にとっても初めての映画音楽だったそうで、前衛と大衆性が見事に融合。

 そして三船敏郎。
 野獣のようにギラギラした男くささ、デビュー作からして大器の片鱗がよく指摘されているが、むしろ器用で丁寧な演技だと感じた。がさつさや不器用さなんてものはない、深く真剣に取り組んでいるのが伝わってくる。実際とても細やかで気配りの人だったという三船の人柄が垣間見えたよう。
 三船は翌'48年、黒澤監督作 『酔いどれ天使』 にも主役として抜擢され、引き続き共演したベテラン志村喬とあわせて黒澤映画の名トリオがいよいよ完成する。


 戦後20年間、黒澤明全盛期の作風をひとことで言えば、「自立した個人には別々の自我・理想・利害があり、それが対等にぶつかり合う」というドラマ。
 それは『白痴('51、ドストエフスキー原作)』 や 『蜘蛛巣城('57、シェイクスピア『マクベス』翻案)』 といった西洋文学の本質そのものであり、人間社会の無慈悲・無理解の果てにはじめて精製される人間の美しさは、『野良犬('49)』 や 『生きる('52)』、『生きものの記録('55)』 などにも通底している。最高傑作 『七人の侍('54)』 はその生々しい激突の頂点というべきもの。

 敗戦によって「お上に服従していればいい」という古い日本的価値観からの脱却が求められた時代、日本人離れした三船のスケール感は、そんな黒澤世界を120%体現するうってつけのアイコンであった。しかし日本人が 「戦争の抑圧からの解放」 にも慣れ、黒澤自身も年を取り地位を成すと、個のぶつかり合いやその醜さ美しさは迫力を欠いていく。
 続きは後日。

 
00:12  |  日本映画  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑

【日本映画】 2017.06.08 (Thu)

高峰×成瀬の 『女が階段を上る時('60)』

高峰×成瀬『女が階段を上る時』

 水商売に生きる女の悲哀を描く成瀬巳喜男監督、菊島隆三制作・脚本の映画 『女が階段を上る時』。1960年・東宝。

 主演は天下の高峰秀子さん。

 夫に先立たれ、生活のために銀座のバーで働いている雇われママ。美人だから人気はあるが、水商売に染まりきれず、男の客にはもちろんのこと、同業の女たちにも素顔を見せられない。気の利いたナレーションは、そんな彼女の本音を吐露しているかのようです。

  「昼のバーは、化粧をしない女の素顔だ」
  「ビジネスガールが帰る頃、銀座にプロが出勤してくる」
  「車で帰るのが一流、電車で帰るのが二流、客とどこかへシケこむのが最低だ」


 そしてタイトルの由来になった――

  「私は階段を上る時が一番いやだ」

 飲みたくもないお酒を飲み、好きでもない男に愛想を振りまく仕事への入り口。それでも階段の先にある店まで上りきってしまえば、夜の顔になりきる自分自身を冷ややかに見つめる。
 単純な「女の哀しさ、たくましさを見てください」とは違う、あえて後ろ向きに、その日その日を生き抜かんがために漂流するヒロイン像が成瀬らしい。


 いつ見てもお美しい高峰さんは、同じ成瀬の 『浮雲('55)』 から 『乱れる('64)』 までの10年、こういう擦れた、けだるい「30女」をやらせたら天下一品です。(でも決して下品にならない!)
 その前、20代の 『二十四の瞳('54)』 『無法松の一生('58)』 のような清純・貞淑ぶりから、そのあと40代以降の『花岡青洲の妻('67)』 『恍惚の人('73)』 のような激烈な役まで・・・、この人にできない役なんてあったのだろうか??

 もともと好きな人だったけど、2010年に亡くなられる前後から、高峰さんへの想いは年々募るばかり。ベストセラーになったエッセイ集も拝読しましたが、その豊かで軽妙な文才にもすっかり参ってしまった。本作では、男性陣のスーツも含めた衣装も担当されたとのこと。
 強欲な男(小沢栄太郎)、下心丸出しの男(中村鴈治郎)、スマートだが情の薄い男(森雅之)、風采は上がらないが誠実な男(加東大介)、辛苦を共にする同業の男(仲代達矢)・・・。男とは勝手なもので、自分もこのろくでもない男たちになりきりながら、高峰ママの美しさと才能に惚れまくりでした。


 描かれるお話じたいはさほど新しくもないのが、これだけの名手を揃えながらあまり知られていない理由でしょうか。
 次から次へと強敵が現れる終盤の「3連戦」は、マンガみたいで笑ってしまった。ありがちな展開になって、ここでいったん冷めた。でもまぁ、そうやって夜の女の「厳しい試練」を戯画的にまとめて見せたのだろう。

  「歩道の並木も、冷たい風を受けながら新しい芽を育てていく」

 ささやかながらもそれなりの落とし前をつけて、物語は笑顔で終わる。・・・いや、始まっていく。それは彼女の願った結末ではないかもしれないのだが。
 
00:13  |  日本映画  |  コメント(0)  |  EDIT  |  上へ↑