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【アメリカ映画】 2022.01.25 (Tue)

美しい愛の映画『ブロークバック・マウンテン(2005米)』

『ブロークバック・マウンテン』

 美しい愛の映画!
 北米ワイオミング州の雪山“ブロークバック・マウンテン”。冬越えの馬の牧童として雇われたふたりの青年が、過酷な自然の下で身を寄せ合ううち、肉体の一線を越えてしまう。

 「同性愛」といえば、耽美・退廃あるいはドラァグ・クイーンのような華飾の世界で語られがちだったが、アメリカン・ヒーローの象徴たるカウボーイに託したところが画期的だった。


 監督のアン・リーは、雄大な自然の映像美で売ることもできただろうが、安易にインスタ映えに甘えない。あくまで風景は要所要所のシンボリックな程度。代わりに数十年にわたるふたりの愛と葛藤を丁寧につづる。

 ヒース・レジャージェイク・ギレンホール、主演のふたりは見事に応えてくれた。許容、強がり、保守的な土地で「禁断」の愛を隠さねばならない。無理やりほんとうの感情を忘れ、抑えつけ、ふつうの家庭の夫・父としてふるまう自分を肯定して疑わない自己矛盾。

 主人公イニスの妻を演じたミシェル・ウィリアムズもふたりに伍する熱演。
 偶然見てはならないものを見てしまったショック。夫への愛が一気に冷めていく、血の気が引いていく瞬間が見事に伝わった。そのあと雪塊が溶けるように、ゆっくりと確実に壊れていく家庭の描写も丁寧ーーだからこそ胸が痛む。
 もう一方のジャックの妻役はアン・ハサウェイ。町の有力者の娘として美しく不自由なく育ち、日々派手な生活にひたる彼女は、夫の秘密を知っていたのだろうか。'70ー80年代風のけばけばしい化粧の下には、何を感じていたのか。こういう、世間でいうバカ女を演じる技量の奥深さを思った。彼女も好演。


 『グリーン・ディスティニー(1997)』 の中国武侠アクションで、ハリウッドに「ワイヤー・アクション」旋風を巻き起こした台湾出身のアン・リー監督は、本来の繊細な人間ドラマで本領を発揮。アカデミー賞の常連として、近年ハリウッドで存在感を高めるアジア系映画人の先駆けとなった。

 なお、“ブロークバック・マウンテン”という山は実際にワイオミング州にあるそうだが、予算の都合でカナダの別の山がロケ地として使われている。
 同性愛がテーマという偏見に加え、ロケ地も監督もスタッフもアメリカ外の「外様」だったことから、アカデミー賞戦線では最優秀作と目されながら、大きな票を集めることができなかった。身内と地元のL.A.で撮った 『クラッシュ』 とやらが受賞。

 
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【京都・奈良&和ふう】 2022.01.11 (Tue)

陶芸家を気取って『民芸』展へ

 
冬休みは、岐阜の 「美濃焼」 の里で陶器を焼いてきました。

しろうとながら、現時点でなんとか納得のいく 「瀬戸黒」 「黄瀬戸」 の茶碗ができました。

後日届けてもらいます。(リンクはDuckDuckGo画像検索)


一見、武骨で大ざっぱな 「手づくね」 の製法。だけど余計な装飾性を排したシンプルの極み。

下品な意図はもろに出る、自分の裸のセンスだけが表面にさらされるのが、

ほかの焼きものと一線を画すところです。

よって、人さまに見せるほどではございません。

でも次に行ったときも、「瀬戸黒」 「黄瀬戸」 だけを作り続けるでしょう。

◆  ◇  ◆

『民芸の100年』展

あと、昨年のことですが、東京国立近代美術館の 『民芸』 展にも行ってきました。

名匠の銘品だけが偉いんじゃない、普段使いの長く親しんだ量産品の中にこそ

美や味わいがあるんだと、あらためて教えてもらいました。


どちらかというと作品そのものより、運動の創始者・柳宗悦たちが歩んだストーリー重視の展示。

それより、NHK 『日曜美術館』 など関連番組で取材されていた、

民芸精神を受け継ぐ 名もなき現代の職人たちの手だれぶりにはもう、舌を巻いた。

 
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【きょうのごあいさつ】 2021.12.27 (Mon)

よいお年を!

街灯バナー

 はやくも冬本番の寒さの中、いかがお過ごしですか。

 この1年、ご訪問いただきありがとうございました。2022年もよろしくお願いします。


 冬休みは東京を離れ、尾張名古屋の山中に籠りて、陶芸家のまねごとをしてきます。

 温泉にでもつかりながら、土とこねこね対話するのだ。

 機あらば京に攻め入って、てんか統一の大願を果たすのだ。


 よいお年を!

 
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【 『方丈記』 全訳】 2021.12.16 (Thu)

『方丈記』全訳⑮/住んでみなければ分からない

≪15.衣食のたぐひまたおなじ~鴨長明 『方丈記』 原文と現代語訳≫

『方丈記』2

 衣食のたぐひまたおなじ。藤のころも、麻のふすま*、得るに隨ひてはだへをかくし。野邊のつばな、嶺の木の實、わづかに命をつぐばかりなり。人にまじらはざれば、姿を耻づる悔もなし。かてともしければおろそかなれども、なほ味をあまくす。
 すべてかやうのこと、樂しく富める人に對していふにはあらず、たゞわが身一つにとりて、昔と今とをたくらぶるばかりなり。

 大かた世をのがれ、身を捨てしより、うらみもなくおそれもなし。命は天運にまかせて、をしまずいとはず、身をば浮雲になずらへて、たのまずまだしとせず。一期のたのしみは、うたゝねの枕の上にきはまり、生涯の望は、をりをりの美景にのこれり。


 衣食のたぐいもまた同じである。藤の衣や麻のかいまき(*布団にする着物。現代の「ふすま」とは別)は、手に入れた物に合わせて肌を隠している。野辺のツバナや峰の木の実も、わずかに命をつなぐ程度である。人と交わらないので、姿を恥じる悔いもない。食糧は乏しく粗末だが、かえって味わい甘くなる。
 すべてこのような事は、安楽に富める人に対して言っているわけではない。ただ我が身ひとりにとって、昔と今とを比べているだけである。

 世間からのがれ、身を捨ててからは恨みもなく怖れもない。命は天運にまかせて、惜しまず厭(いと)わず。身を浮雲になぞらえて、人に頼らず不満を持たず。うたた寝の枕の上が一生の楽しみの極みであり、折々の美景の中に身を置くのが生涯の望みである。




 それ三界(人間界を欲望の度合いによって三つに分けた世界。それらをひっくるめた“この世”)は、たゞ心一つなり。心もし安からずば、牛馬七珍もよしなく、宮殿樓閣も望なし。
 今さびしきすまひ、ひとまの庵、みづからこれを愛す。おのづから都に出でゝは、乞食となれることをはづといへども、かへりてこゝに居る時は、他の俗塵に着することをあはれぶ。

 もし人このいへることをうたがはゞ、魚と鳥との分野を見よ。魚は水に飽かず、魚にあらざればその心をいかでか知らむ。鳥は林をねがふ、鳥にあらざればその心をしらず。閑居の氣味もまたかくの如し。住まずしてたれかさとらむ。


 そもそも世界はただ心ひとつでどうにでもなる。心がもし安らかでなければ牛馬・万宝も価値がなく、宮殿・楼閣には希望も眺望もない。
 今わたしは、寂しい住まいとひと間の庵を、自分自身で愛している。たまに都に出て乞食のように見えた時は恥じるけれども、帰ってきてここに居る時は、他人が俗塵にまみれている事を憐れんでいるのだ。

 もし誰か、こう言っている事を疑うなら、魚と鳥の世界を見よ。魚が水に飽きないさまは、魚でなければその心をどうやって知ろうか。鳥が林にいる事を願うさまは、鳥でなければその心が分からない。閑居の味わいもまたかくの如し。住まないのに誰が理解できようか。

 
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【『ガラスの仮面』全巻】 2021.12.10 (Fri)

ガラスの仮面第42巻≪携帯電話≫

 美内すずえ 『ガラスの仮面』 第42巻 ≪ふたりの阿古夜(1)≫

ガラスの仮面~マヤ(白目・光)

 【】



 連載中断に中断を重ね、前巻からさらに6年後の2004年12月に刊行。
 雑誌連載では 「亜弓が事故で失明の危機」 「真澄とマヤの関係を知った紫織が、“紫のバラのひと”の名を悪用してマヤを追い詰める」 ・・・のだが、単行本ではそっくり描き換えて無かったことに。あとでその話は出てくるそうだが、年単位のいつ終わるとも知れない中断の末の物語改変。作者次第で何でもありになってしまう作劇に裏切られ、しらけさせられた。

 代わりにマヤ・真澄・桜小路の三角関係を事細かに描くが、どうか。まじめで良識からはみ出ない、過ぎ去った淡い初恋の桜小路くんにもはや期待や意義を感じない。また、作中に「携帯電話」を登場させて無理やり現代の設定に合わせたことで、作品の古典性・神話性が失われてしまった。(どうせなら、マヤの古くさい髪型を何とかしてほしい。)
 
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【ぐるめ…?】 2021.12.01 (Wed)

胃袋も冬支度

秋の味覚「ンマーイ」

ご飯を食べに行きました。

フレンチのお店でしたが松茸が出てきました。

白身魚をポワレ(焼き)したやつに、トリュフの代わり。

お金持ちの気分になりました。


今年は秋だかなんだかよく分からなかった感じ。柿もサンマも食べなかったっけ。

分からないうちにもう冬か。


家に帰って、しまっておいたとっくりとお銚子を出しました。

冬支度のはじまりを告げる、わが家の「木枯らし第一号」。

土鍋も、お餅も出さなくちゃ。 クリスマスとおせちはどうしよう。


 「冬のかじかんだ手は罪悪感を軽くさせる」 ――N・Sargent

 
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【 『方丈記』 全訳】 2021.11.18 (Thu)

『方丈記』全訳⑭/人に頼らない生活

≪14.それ人の友たるものは富めるをたふとみ~鴨長明 『方丈記』 原文と現代語訳≫
『方丈記』2

 それ人の友たるものは富めるをたふとみ、ねんごろなるを先とす。かならずしも情あると、すぐなるとをば愛せず、たゞ絲竹花月を友とせむにはしかじ。人のやつこたるものは賞罰のはなはだしきを顧み、恩の厚きを重くす。更にはごくみあはれぶといへども、やすく閑なるをばねがはず、たゞ我が身を奴婢とするにはしかず。
 もしなすべきことあれば、すなはちおのづから身をつかふ。たゆからずしもあらねど、人をしたがへ、人をかへりみるよりはやすし。もしありくべきことあれば、みづから歩む。くるしといへども、馬鞍牛車と心をなやますにはしか(二字似イ)ず。


 そう、人の付き合いというものは富める者を尊び、懇意(ねんごろ)にしている者を優先する。必ずしも情や正直さを愛しているわけではない。それならば音楽や風流を友としている方がいい。
 人に使われている者は賞罰の大小だけを考え、見返りの厚さを重視する。こちらがいくら育(はぐく)み気遣ってやっても、安っぽい閑職などは願っていない。それならば我が身を奴婢(ぬひ=召使い)とした方がいい。
 もしするべき事があれば、自分の身を使う。決して楽ではないけれど、人を従えたり人の顔色を伺うよりはたやすい。もし歩くべき事があればみずから歩む。苦しいといっても馬鞍・牛車と心を悩ませるよりはいい。



 今ひと身をわかちて。二つの用をなす。手のやつこ、足ののり物、よくわが心にかなへり。心また身のくるしみを知れゝば、くるしむ時はやすめつ、まめなる時はつかふ。つかふとてもたびたび過さず、ものうしとても心をうごかすことなし。
 いかにいはむや、常にありき、常に働(動イ)くは、これ養生なるべし。なんぞいたづらにやすみ居らむ。人を苦しめ人を惱ますはまた罪業なり。いかゞ他の力をかるべき。


 今、この身を分けて、ふたつの用をなしている。つまり手は召使いに、足は乗り物に。よく我が心に従ってくれている。心も身体の苦しみを知っているので、苦しい時は休めつつ、健康な時は使う。使うとしてもたびたび使い過ぎたり、もの憂(う)い時に心を煩わせるような事はしない。
 ましてや、常に歩き常に働くのは養生にもなる。どうして無駄に休んでいられようか。人を苦しめ人を悩ませるのは罪業である。なぜ他人の力を借りようとするのか。

 
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